628【マレーシア紀行】あの、歴史で学んだ宣教師ザビエルとやじろうに縁のあるのがマラッカなのです『セント・フランシスコ・ザビエル教会 (Church of St.Francis Xavier) 』

世界の世界遺産(World Heritage)
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日本にキリスト教が伝えられたのはいつのことでしょうか?
『以後よく(1549) 広まる キリスト教の伝来』
で覚えたかな?
そして、キリスト教を伝えた人物は誰だったでしょうか。

肖像画の頭の部分が妙に気になる宣教師、フランシスコ・ザビエルですよね。
このフランシスコ・ザビエルが日本に訪れたことによって、日本の歴史は大きな変化が生まれていくことになります。
ヨーロッパ諸国が、世界のいたるところにキリスト教を広めていきたいという思いがあったのは事実なのですが、ヨーロッパから見て極東にある日本に伝えるということは、物理的な面もそうですが、謎の島国にどのようにアプローチをするのか、そういった面でも躊躇する部分は多かったのではないかと思います。

そんなキリスト教を伝来したフランシスコ・ザビエルですが、彼に日本行きを決意させた人物をご存じでしょうか?
実はその人物とは日本人なのです。
やじろう“という、当時マラッカに住んでいいた日本人なのですが、この人物の存在があったからこそ、ザビエルは日本にやってくることとなり、歴史は大きく動いていったのです、

ザビエルそしてやじろうと大きくかかわりのあるマレーシアのマラッカ。
そして、そんなマラッカには、両人にがこの地に大きなかかわりがあったことを今に伝える建物があります。
その建物は、セント・サンフランシス・ザビエル教会といいます。
では今回は、謎の日本人”やじろう”とはどのような人物だったのか。
ザビエルとマラッカの関わりとはどのようなものなのか。
こういった内容について、両人の石像が残るセント・サンフランシス・ザビエル教会を中心に紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • ザビエルの来日には日本人がかかわっていた!!?我々がまだまだ知らない、マラッカとザビエル、そしてやじろうの歴史をたどってみよう。

マラッカについての記事です。

775【マレーシア紀行】マレーシアの独立までの経緯を、タダで楽しめる博物館『独立宣言記念館』
サンチャゴ砦がある場所のすぐ隣には、この砦とは全く時代感の異なる建物が残されているのです。この建物は、現在は独立宣言記念館という博物館として利用されている建物なのです。その外観は、美しい洋風建築になっているのですが、もちろんのことながら最初から博物館として設立されたものではありませんでした。
754【マレーシア紀行】マラッカの週末夜のお楽しみ『ジョンカーストリート・マーケット』
マラッカのナイトマーケットが行われるのは金曜から日曜までの週末のみ。この週末の夜になると、オランダ広場からマラッカ川を越えたチャイナタウン。そのチャイナタウンを東西に延びるジョンカーストリートはたくさんの店が立ち並び、歩くのも大変なほどの人で溢れかえるのです。
711【マレーシア紀行】ポルトガルによって築かれ、かつてはセントポールの丘を取り囲むほどの広大な城壁だった『サンチャゴ砦』
マラッカの中でもちょうど中心あたりにあるこの建物は、こじんまりとしていますが、その風格からは長い歴史を感じさせられる、とても印象に残る建物です。そう感じるのも納得であり、なんと500年以上もの歴史をもつ建物なのです。この建物の名を、サンチャゴ砦といいます。
679【マレーシア紀行】東南アジアで最も古い教会であり、宣教師ザビエルの遺体が埋葬されていたことでも有名な『セント・ポール教会』
マラッカの街の中央にはセント・ポールの丘という小高い丘があります。その丘の上には、街中のどこから見ても見える小さな教会跡が残っています。ここはセント・ポール教会といいます。かつてポルトガルがマラッカを支配していたころ、マラッカはキリスト教宣教師たちの活動拠点の街でもありました。その頃に宣教師たちによって使われていた教会跡なのです。
616【マレーシア紀行】海洋交易の要所にあったマラッカならではの博物館『マラッカ海洋博物館』
前回紹介したマラッカスルタンパレスは、マラッカ王国時代の文献から当時の建造物を再現して造られた博物館でしたね。博物館と聞いてどんな建物を思い浮かべますか?おそらく普通の建物をイメージするとは思うのですが、このマラッカ海洋博物館はその見た目から大きく異なります。
595【マレーシア紀行】マラッカの王宮を模した巨大な建物の中にある博物館『マラッカスルタンパレス』
マラッカの街には、同じく数多くの博物館もあり、これらを見て回ることでマラッカの歴史がよくわかるわけです。今回はマラッカスルタンパレスを紹介していきたいと思います。木造の巨大な王宮を模したこの博物館は、その建物自体がマラッカの歴史を現代の世に伝える役割を担ったものなのでした。
173【マレーシア紀行】マラッカの街の新旧エリアを一望『マラッカタワー』
今回紹介する、世界遺産の町マラッカにある『マラッカタワー』からは、マラッカの町を上から眺めることができます。このタワー、タワーの展望室が回転して、360度全ての方角の町並みを見ることができる、遊園地のアトラクションのような作りになっているのです。
143【マレーシア紀行】マラッカの一日の締めくくりは『マラッカリバークルーズ』
マレーシアの世界遺産都市『マラッカ』。2008年に『マラッカ海峡の都市群』として世界遺産登録された、歴史ある古都です。そんな、マラッカの街中のマラッカリバーからオシャレな街並みを眺めてみることができる『マラッカリバークルーズ』があります。
046 【マレーシア紀行】2013年に遭遇した、マラッカの火災
マレーシアの南にある、世界遺産都市マラッカ。数々の歴史的な史跡を堪能しようと訪れたこの街で、予想外の事態に遭遇したのでした。

セント・フランシスコ・ザビエル教会

ここはもともとは1553年にギャスパー・デ・クルーズ神父によって建てられた、聖母マリアロザリオ修道院があった跡地であした。

セント・フランシス・ザビエル教会は、その跡地に1849年にフランス人のペテロ・ステファン・L・ファーブ氏が建てたゴシック建築の教会です
ファーブ氏は、ローマカトリックの長年における宣教活動を称え、当時の最新であった近代ゴシック様式の素晴らしい教会を建設したのでした。

このセント・サンフランシス・ザビエル教会の前には2つの像が立っています。
それが、やじろうとザビエルの像なのです。
この2つの像は、鹿児島の鹿児島市ザビエル上陸顕彰会と鹿児島県マレイシア友好協会とがザビエル生誕500年を記念して2007年に寄贈したものです。

やじろうとザビエル

やじろうとは、16世紀前半に生存していた、日本人初のキリスト教徒といわれている人物です。
もともとは現在の鹿児島県出身であると考えられており、日本国内で殺人を犯してしまったやじろうは、日本にいられなくなってしまい、当時交易に訪れていたポルトガル船に乗って、遠くマラッカの国にまで逃れました。

ここで、やじろうが出会ったのが日本でもおなじみのフランシスコ・ザビエルです。
なお、ザビエルが日本に訪れる3年前のことです。
ザビエルの導きによって、1948年にやじろうは日本人として初めてキリスト教の洗礼を受けます。
このマラッカでザビエルはやじろうから日本のことと、日本でキリスト教を布教することがうまくいくかなどについていろいろと情報を入手しました。
やじろうは通訳者や翻訳者としても、日本の情報をザビエルに提供することに尽力したのです。
ここでのやじろうとのやりとりが、後のザビエルの日本行きを決意させたのでした。

ザビエルは1949年に日本に上陸し、キリスト教の布教活動を開始します。

ザビエルがマラッカを旅立った後のやじろうの消息は分かっていません。
しかし、どうもマラッカの仏僧などによってマラッカを追われることになったやじろうは、1950年頃に中国の近辺で海賊に殺されたのではないかと伝えられています。

マラッカとザビエル

フランシスコ・ザビエルとは、スペイン出身のキリスト教カトリック教会の宣教会であり、世界各地に宣教をすることを目的としたイエズス会創設メンバーの一人です。
スペインで聖職者を志し活動をしていたザビエルは、アジア各国への宣教を目的として、30代半ばにインドの西海岸のゴアに派遣されることとなります。
インドを拠点として宣教していたザビエルでしたが、後にマラッカに拠点を移し布教活動を続けます。
1547年にマラッカで出会った日本人こそがやじろうなのでした。

やじろうを通して日本についての情報を入手したザビエルは、ついに1549年に日本に上陸し、約2年間の布教活動にいそしみます。
2年た経った後、ザビエルは再びインドへ戻ることを決意します。
インドに戻ったザビエルは次は中国への布教を目指しますが、中国へ入国することはかなわずその志半ばに、中華人民共和国広東省台山市の沖合にある上川島にて46歳で没します。

ザビエルの遺体なのですが、その後、マラッカに移送されます。
さらにゴアに移送され、今もなおゴアにあるボム・シェズ教会に安置されており、10年に一回一般に開帳されているのだそうです。
ところが、以外の右腕や耳、歯、胸骨などは、様々な場所に分散して保存されています。

アクセス

オランダ広場から北東に250mほどのところにあります。

セント・フランシスコ・ザビエル教会に行ってみた

それではセント・フランシスコ・ザビエル教会に行ってみましょう。

オランダ広場を北東に向かいます。
この通りは赤茶色の建物が特徴的で、夜間に通ってもいい雰囲気を醸し出しています。

こちらがセント・サンフランシス・ザビエル教会です。
白亜の美しい教会ですね。

二つの塔が特徴的な構造です。

教会建造に至った経緯が書かれています。

この日は結婚式が行われていました。

そんな教会の敷地内には2つの石像があります。
左側が”やじろう“であり、右側が社会の教科書でもおなじみのフランシスコ・ザビエルです。

ザビエルとやじろうとの関係について書かれていました。

新郎新婦が乗る車らしきものが待機していました。

川の反対岸からもこのように教会が見えます。

いかがだったでしょうか。
実は歴史の授業で習っていたザビエルがマラッカとこれほど関係が深いとは知らなかったので、実際に訪れたときにああらゆる場所でザビエル日南がモノがあったことには驚きました。
そして、まだまだこの時代には、東南アジア諸国に何らかの事情で滞在していた日本人というものがちらほら存在します。
そういった歴史の真実を、旅を通じて追っていっても楽しいかもしれませんね。