644【レソト紀行】南アフリカ共和国だと思っていたけれど・・・、あれ??国がある!!?『レソト』

世界のわきみち(World)
この記事は約4分で読めます。

世界地図を見ていると様々な発見があります。
あれ?こんなところに島があったのか。
意外と大きいなこの国は。
実はこんな国々が周りにあるのか。
などなど。
そういった新たな発見に出会えるということだけ考えても、世界地図というのは新たな世界をひり開いてくれるツールだったりします。

そんな世界地図を見ていたある時。
あれ?
国の中に国がある
そんなことが気になった国があります。
非常に小さい国であり、一地方都市か?とも思ってしまいそうなこの国は、レソトといいます。
大半の人が「どこ?」となってしまうと思いますが、アフリカ大陸の最南端、南アフリカ共和国の中にポツンとある国なのです。
これは興味がわいてきませんか??

もちろん自分もこのレソトという国に対して全く何もイメージがわきません。
だからこそ今回は調べてみました。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • とにかく不安定な状態が長年続くソマリア。この国はこれから先は、どのような歴史を築いていくのでしょうか。

レソト

レソトは正式にはレソト王国といい、アフリカ南部の南アフリカ共和国に囲まれた内陸国であり、九州より少し小さいぐらいの面積しかありません。
1966年にイギリスから独立し、50年以上の歴史がある立憲君主制国家です。
人口は200万何人足らずであり、そのほとんどはキリスト教を信仰しています。

レソトは、山岳地帯にあるため平地である場所は一切なく、標高の平均は1500mほどもあります。
このような厳しい地形にあるため、農業に適した土地が非常に少なく、植民地化されていた時代にもその厳しい環境に対して白人たちは進出すらしませんでした。
そのため、食糧自給を満たすことは難しく、輸入に頼らざるを得なくなっています。
農業がだめなら畜産は、となるので、レソトでは古くから牛や羊、山羊の放牧が盛んに行われていました。
また、レソトはその立地から水資源が豊富な国なので、水の輸出が国の経済の一部を支えている面があるのです。

この国の位置を見てまず思うのが、「なぜ南アフリカ共和国の中にあるの?」ということだと思います。
それは、南アフリカ共和国を含めこの地を植民地支配したイギリスがやってくる以前にまでさかのぼります。

16世紀ごろに現在のレソトの地域をソト族という民族が支配していました。
幾度もの動乱によって勢力が危ぶまれたことがあったものの、この地域の支配権を守りきり、なおかつ勢力の拡大にも成功していたのでした。
ところが時代はヨーロッパ諸国による植民地時代になります。
迫りくる支配勢力から自分たちの支配地域を守るために、自らイギリスの保護を受けることを選択したレソト。
それによって国土は減少したものの、イギリス保護領バストランドとして存続していくこととなります。


20世紀に入り、1960年のアフリカの年をはじめ、アフリカ諸国は次々と独立を果たしていくこととなります。
レソトも1960年に自治が認めら、その後、1966年にはイギリス連邦の一員として正式にイギリスから独立して、現在のレソト王国が誕生します。
初期の国家運営では、国王も政党活動を行うことができていましたが、後に王は政治的権力を持たない象徴的地位として定められることとなっています。

レソトはその位置からもわかるように、どこに赴くにも南アフリカ共和国を経由しないと陸上でのアクセスは成り立ちません。
そのため、南アフリカ共和国との関係性は非常に重視されており、経済的にも物質的にも切っても切れない関係を築いています
特に、対南アフリカ共和国とは関税を撤廃しすることによって、自由な貿易がしやすいように国としては取り組んでいるのだそうです。

首都マセル

レソトの首都はマセルという都市です。
首都の人口40万人ほどであり、標高1,600mの高原にある都市です。
このような土地にあるため、どうしてもアフリカのイメージは暑いという感じがありますが、日本に比べるとかなり過ごしやすい気候なのだそうです。

いかがだったでしょうか。
おそらくほとんどの人が初めて聞いたという国だと思いますが、自分もそうですw
調べてみるとこのレソトという国、南アフリカ共和国とマロティ・ドラケンスバーグ公園という世界複合遺産を共有して維持管理しているのだそうです。

ここには、この地域の山脈にちなんだ自然や多種多様な生物の生態系があります。
そして、サン人によって長きにわたり残されてきた人物や動物などが描かれた岩絵が残されています。
古いものになるとなんと4000年前のものもあるのだとか。
調べてみると、この場所が自分のアンテナには最も引っかかったところかなと思いました。
おそらくレソト単体で行くというよりかは周辺諸国とともに行くことになるであろうレソト。
いつの日かずれる日がくるのでしょうか。