645【和歌山紀行】世界遺産にも登録される、熊野三山の一つ『熊野那智大社』

近畿地方(Kinki)
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2004年にユネスコの世界遺産に登録された紀伊山地の霊場と参詣道
奈良県・和歌山県・三重県へと広範囲に広がり、数多くの登録資産が含まれています。
奈良県は吉野、和歌山県は高野山と熊野三山。
そして、そこへ至る参詣道。
太古の昔から人々が自然の中にある神を信仰してきたこの地域には、神道から仏教に至り、修行の場、信仰の場、それらをつなぐ道が整備されており、世界にはいくつかある”道”の世界遺産としても有名です。
今回はこの中で、熊野三山の1つを紹介していきたいと思います。

熊野三山とは、熊野の地域にある『熊野本宮大社』、『熊野速玉大社』、『熊野那智大社』の3つの神社を指している言葉です。
その中で今回紹介するのは熊野那智大社です。

この熊野三山とはいったい何なのか。
そして、その一つになっている熊野那智大社とはどのような神社なのか、紹介をしていきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 熊野三山を構成する一つ熊野那智大社。どういった経緯があって、世界遺産に登録されるほどの場所としてしんこうされるようになったのでしょうか。

和歌山に関する記事です。

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熊野那智大社

熊野那智大社は、和歌山県那智勝浦町にある熊野三山の1つの神社です。
2004年にユネスコに世界遺産登録された、紀伊山地の霊場と参詣道を構成する資産の一つにもなっています。

世界遺産と熊野信仰

世界遺産である紀伊山地の霊場と参詣道は、和歌山県だけではなく奈良県、三重県にまたがる広範囲な世界遺産です。
この地域には、熊野三山をはじめ、高野山と吉野・大峰という霊場があり、それらを結ぶ参詣道である熊野参詣道、大峯奥駈道、高野参詣道を構成資産として2004年に登録されました。
この地域は、古く仏教が伝来する以前から雄大な自然に対する自然信仰が盛んであった地域でした。
仏教伝来後には、修験の場となっていき、三大霊場として崇められていた場所でした。

その中でも熊野三山は神道の信仰の場として多くの修験道の修行の場となっていました。
そんな熊野三山は、田辺市にある熊野本宮大社、新宮市にある熊野速玉大社、そして那智勝浦町にある熊野那智大社という3つの神社の総称です。
この熊野三山には、熊野権現という神が祀られており、全国各地の熊野神社の総本社でもあります。

熊野というと熊野信仰がありますが、熊野信仰とは日本書紀にてイザナミノミコトが熊野に葬られたという伝説から始まり、神道だけではなく仏教の世界においても熊野の地が聖域として考えられていったのでした。
また、クマという言葉自体が聖なる地を表しており、クマとカミは同じ意味があるととらえられています。

そして、熊野への信仰は江戸時代後期まで盛んであり続けてきたのですが、時代が神仏分離の方向に進んでいくに従い、神道と仏教が近しい関係にあった熊野信仰は衰退をはじめ、明治の神仏分離令によって決定的に衰退していくことになります。
しかし、熊野権現を祀る神社は日本各地に建造され、今もなお根強い熊野信仰を受け継いでいます。

熊野三山 熊野那智大社

そんな熊野三山の一つである熊野那智大社なのですが、熊野権現を主祭神とする神社であり、熊野権現とも呼ばれています。
熊野那智大社を構成している社殿と境内地がユネスコの世界遺産として登録されています。

熊野那智大社は、那智滝の自然信仰から始まったと考えられており、社殿が建造されたのも熊野三山の中では一番最後でした。
神社としての発祥は、他の2社とは異なる神社なのです。
もともとは那智滝の正面に社殿があったということだったのですが、4世紀に現在地に社殿が移されました。
それだけでも恐ろしく歴史のある神社ですね。

熊野那智大社が熊野三山として考えられるようになったのは10~11世紀ごろではないかと考えられるようになっています。
平安時代になると歴代の歴史的にも有名な天皇たちが熊野三山に訪れており、特に後鳥羽上皇には強く庇護を受けていました。
しかし、後鳥羽上皇はその後の承久の乱で失脚。
一時期は強力な後ろ盾を失い衰退していくかと思われた熊野那智大社ですが、修験の場としてその地位を確立していきます。

現在のように熊野那智大社という名称になったのは昭和38年(1963)のことであり、それまでは幾度かの改称を経ています。

アクセス

JR那智駅から北西に4~5kmのところにあります。

熊野那智大社へ行ってみた

それでは熊野那智大社へ行ってみましょう。

いずれ紹介する予定ですが、那智滝を祀っていたことから始まったとされる熊野那智大社。
合わせて那智滝も見に行ってみるのがよいでしょう。
上の写真のところから参道がスタートとなります。
登り道ですよ~。

登っていくと、一の鳥居が見えてきました。

一の鳥居到着です。
まだまだずーっと登りですよ~。

二の鳥居が見えてきました。
熊野那智大社の社殿が見えてきます。

境内にやってきました。

すぐに見えてくるこちらは宝物殿です。

こちらは拝殿です。

こちらは青岸渡寺です。
西国三十三所第1番札所であり、同じくユネスコの世界遺産に登録されています。

さらに境内の奥まで進んでいくと、遠くに那智滝が眺められます。

青岸渡寺の三重塔が那智滝をバックに映えます。

那智滝はまた別の機会に紹介していきたいと思います。

いかがだったでしょうか。
今回は高野山に続き、紀伊山地の霊場と参詣道の構成資産について紹介をしてきました。
なかなかこの熊野信仰などは、しっかり調べてみないとなじみがなかったりするため、とっつきにくい感じもしたのですが、難しいことはさておき、この熊野那智大社周辺を実際に訪れてみると感じることができる聖域感は、言葉などなくてもここがこれまで信仰されてきたことが伝わってくるようでした。