ウズベキスタンのヒヴァにあるイチャン・カラは城壁に囲まれた中世の都市です。
この地域は年間を通して太陽が厳しく照り付ける過酷な大地であり、人々の生命線であったアムダリヤ川の流れに左右されるような生活が続いていた場所でした。
そのためアムダリヤ川が流れを変えると、それに伴って人々はカラという都城をその都度作り替えていました。
イチャン・カラもそのような経緯で作られたカラではありますが、17世紀にホレズム帝国の中心地となったことで、数多あるからの中で最もにぎわいを見せるカラとなります。
世界遺産にも登録されているイチャン・カラ内には、かつての宮殿やハーレム、霊廟をはじめ、神学校であるメドレセ、モスクなどが建てられており、それに加えて人々が今もなお生活を続けている、世界遺産と人々の生活が同居する不思議な空間です。
そんなイチャン・カラ内には、20のモスクが存在します。
その中でも、中央アジアを代表するモスクであるジュマモスクについて今回は紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
ウズベキスタンのヒヴァに関する記事です。





ジュマモスク
ウズベキスタンのヒヴァにある世界遺産イチャン・カラ。
その中には20のモスクが存在します。
その中でも中央アジアでも最も有名なモスクの一つであるともいわれているジュマモスクとミナレットがあります。
ジュマモスクのジュマとは金曜日を指しており、イスラム教の休日である金曜日には多くの人々が礼拝のためにこのモスクに訪れるのです。
また、祈りの場だけではなく、集会や教育の場としても利用できるように広く多くの人々に開放されていた施設でした。
10世紀に建てられたとされているジュマモスクですが、何度も修復工事を重ねて、現在残っているのは18世紀末頃に修復がなされたものです。
このジュマモスクが特徴的なのは、石やレンガ造りの建物が立ち並ぶイチャン・カラ内にあって、たくさんの木の柱によって支えられた造りのモスクになっているのが特徴なのです。
ここの様式は、ウズベキスタンの他の都市にあるモスクでも見られない独特な様式になっています。
実際中に入ってみると、50m四方ほどの部屋の中には、無数の木の柱が立ち並んでいる光景が広がります。
約3m間隔で並べられた5mほどの長さがある木の柱は、全部で213本も立ち並び同じく木造の天井を支えています。
柱の長さは多少の違いがあるのですが、天井の高さを均一にするためために、石の台座を使って調整が施されています。
一部は状態の悪い柱もあるのだそうですが、ウズベキスタンが旧ソ連だったころに内部に鉄の棒が埋め込まれたり、鉄の輪で補強されたりしてなんとか修繕を積み重ねてきたのだそうです。
木の柱それぞれには彫刻が施されており、すべて違った彫刻が施されているのだそうです。
薄暗い中に天窓から差し込む光によって彫刻の様子がわかるようになっています。
柱もそれぞれ年代があり、ホレズムの首都であったカトから持ち込まれたものである柱が最も古いものであるといわれています。
それ以外にも、10~12世紀の物であると考えられているものからはじまり17世紀までとされるものまでだけでも30本ほどあります。
アクセス
イチャン・カラの中央部あたりにあります。
ジュマモスクへ行ってみた
それでは、ジュマモスクへ行ってみましょう。
外観は撮影し忘れてしまったので、中に入ったところからです。

こちらがジュマモスク内部です。
ウズベキスタン感がないのがわかりますよね。
このモスクだけがこのように木の柱が立ち並んだ造りになっており、独特の雰囲気を出しています。
柱だけではなく、支えている天井も木で作られていますね。
実のところ旧ソ連時代にかなり修繕がなされたようであり、柱の中には鉄の棒が入れられて補強されているものも多いのだそうです。

天窓から入る太陽の光によって内部が照らされ、それぞれの木に施された彫刻が浮かび上がってきています。
中央に白い大理石で作られている小さなモスクのようなものがありますが、これは賽銭箱なのだそうです。

この時は誰もいない状態でしたが、ジュマモスクの名前の通り、金曜日の礼拝時には多くの人々が集まるモスクなのだそうです。
いかがだったでしょうか。
城壁に囲まられた世界遺産イチャン・カラの中には、あまりにも見どころが多すぎて、どこから訪れたらいいかわからなくなってしまうかもしれません。
そんな中でも異彩を放つモスクであるジュマモスク。
長く人々の生活に根付いてきた伝統あるモスクを、ぜひその目で見てみてください。