色々な見どころがある大阪。
ユニバーサルスタジオジャパンやあべのハルカス。
梅田や難波といったキタミナミなど、みどころがたくさんでどこからまわろうか悩むことではないでしょうか。
にぎやかなイメージの強い大阪ですが、たまにはしっとりと歴史を感じる名所を巡るのはいかがでしょう。
今回紹介している住吉大社は、大阪市の南を代表するだけでなく、日本全国をも代表するほどの歴史を持つ神社です。
その歴史は1800年ともいわれており、古墳時代のころから大阪に訪れる船の航海祈願として有名な神社でした。
今もなお、大阪三大夏祭りの一つにも数えられている住吉祭が行われるなど、地元の人々に親しまれ受け継がれ続けているのです。
今回は、そんな歴史ある大阪の神社、住吉大社について紹介していきます。
というわけで、今回のわきみちは、
大阪の城に関する記事です。








住吉大社
住吉大社は大阪府大阪市住吉区にある神社です。
全国に2300社ある住吉神社の総本社であり1800年の歴史がある神社なのです。
今は西の大阪湾から数km離れたところにありますが、かつて古代にはすぐそばまで海が広がっていたと考えられています。
その創建は西暦210年前後に、神功皇后が住吉大神の加護を得て新羅遠征を成功し、無事帰還することになります。
この際に、住吉大神が住吉の地に鎮座されたと考えられています。
住吉大社の主祭神は、底筒男命・中筒男命・表筒男命の住吉三神、そして神功皇后となっています。
史料として文献上に確認されているのは7世紀末となっています。
住吉大社は海上交通祈願の信仰がよく知られています。
特に古代では、遣唐使船とのかかわりが深かったため、遣唐使船が無事に公開を行うことができるように守り神として考えられていました。
また、和歌や文学の神としても崇められています。
時代は武士の時代になりますが、住吉大社は崇敬され続けていきます。
鎌倉時代、室町時代と時の有力者たちから崇敬されていきますが、戦国時代には火災でたびたび焼失することになってしまい、それまで計画的に行われていた式年遷宮も滞った唯一の時代になります。
戦後になってからは1946年に社号を住吉大社に改称し、現在に至っています。
住吉大社では20年ごとに社殿を作り替えて、住吉大神をお遷しする式年遷宮が行われています。
8世紀の段階ではすでに数回の式年遷宮が行われていたのではない後考えられています。
その後、代々式年遷宮が行われることによって、その技術や伝統は継承され続けてきました。
一時期、戦国時代には半世紀以上中断したこともあるそうなのですが、再び行われるようになり、今もなお20年ごとに行われ続けてきているのです。
直近では平成23年に行われました。
この住吉大社の境内の中では本殿4棟は国宝になっています。
その他重要文化財に指定されているものも多数ある中で、住吉大社といえばというほど有名なのが、反橋(そりはし)ではないでしょうか。
太鼓橋とも呼ばれるこの橋は一目見ると忘れられない形をしています。
高さが4.4mもあり、大きなアーチを描いて池の上にかかっています。
非常に急な勾配をしたアーチ橋なので、端から端まで渡りきるのに一苦労。。。
一説によると、この反橋のあたりまで海が来ていたのではないかともいわれています。
この反橋を渡るとお払いになるとされている端なのです。
7月31日を中心に行われている住吉祭は、大阪三大夏祭りの一つとしても有名であり盛大に行われ続けています。
地元大阪の人々からは、”すみよっさん“の愛称で親しまれ続ける神社なのです。
アクセス
南海住吉大社駅から150mほど東にあります。
住吉大社へ行ってみた
それでは住吉大社に行ってみましょう。
残念ながらあまり写真はありませんでした。

駅から参道を通って住吉大社に近づいていくと、池にかかる反橋が見えてきます。
非常に傾斜のきつい端なので、上り下りは非常に大変・・・!?
しかし、ご利益があるのであれば頑張るのみです。

住吉神社角鳥居です。
その名の通り、柱が四角柱という珍しい鳥居であり、別名、住吉鳥居とも呼ばれています。
そしてその奥にあるのが幸壽門(こうじゅもん)です。
この奥に第三本宮、第四本宮があり、その奥に第二本宮、さらに奥に第一本宮という並びになっています。
いかがだったでしょうか。
大阪に数ある神社なの中でもその歴史の古さはぴか一ですね。
遣唐使の時代、等といわれると、以下に古くからこの大阪の地に文化が発達していたのかがわかりますね。
大阪の歴史をめぐる旅では欠かせない場所の一つかもしれませんね。