665【雑記】アフリカ大陸の北端にあった、ローマに相対する強国だった『カルタゴ』

世界のわきみち(World)
この記事は約4分で読めます。

紀元前、古代ヨーロッパの強国といえば何が思いつくでしょうか。
現イタリアの地域から広くヨーロッパに広がっていくことになるローマ
高い文明が根付いていたギリシア
地中海にある強国として両国とも大きな力を持っていました。
そして、この地中海を挟んだところに、もう一つローマと相対するほどの力を持った大きな国があったことは知っていますか?

現アフリカ大陸のチュニジアから西の海岸線に広がり、スペイン・ポルトガルのあるイベリア半島一体までを治めた強国、カルタゴです。
フェニキア人による国であったカルタゴは、地中海を挟んでローマ最大の敵国としてにらみ合いが続いていたのでした。
最終的にカルタゴはローマによって滅ぼされることとなりますが、今もチュニジアなどにはこのカルタゴの遺跡が残されており、世界文化遺産にも渡欧六されているのです。

今回はこの地中海の大国だったカルタゴとはどのような国だったのかについて調べていきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 700年もの間、地中海交易で栄えた古代の大国カルタゴ。果たしでどのような国だったのでしょうか。

カルタゴ

紀元前9世紀頃、地中海の南側に海洋民族であったフェニキア人によって都市が建設されます。
後に強大な国に発展し、地中海の海洋交易を手中に収めたカルタゴです。

そんなカルタゴですが、フェニキア人の拠点はもともとはこの地ではありませんでした。
現在のレバノンにあったティルスを拠点にしていたフェニキア人は、地中海内で強大な力を持つようになり、紀元前9世紀ごろにアフリカ東部のベルベル人たちが住んでいた地域を植民都市としてカルタゴを建設することになりました。
本国のティルスが他国からの支配をうけるようになってからは、フェニキア人たちの本拠地はカルタゴへと移り、優れた造船技術や水運のノウハウ、そういった技術力を背景に地中海の海上交易を支配していきます。
植民都市から始まったカルタゴでしたが、海上交易の中心となり、多くの人々が行き交うようになって商業の中心地となっていき、より地中海周辺での影響力を高めていきます。

しかし、地中海の覇権を狙っていたのはカルタゴだけではありませんでした。
それは、地中海で同じく影響力を持っていたギリシアと、イタリア半島を本拠地としたローマでした。

紀元前6世紀ごろからはギリシアとの争いが絶えない状態になっていきます。
また、領土も西に向けて広げていき、大西洋、イベリア半島に至るまでその影響力は及んでいきます。

紀元前3世紀ころからは、カルタゴは、強大化していくローマと地中海の覇権を得るために幾度もの争いを繰り広げることになります。
この両国の戦いがポエニ戦争と呼ばれており、三度の大きな戦いが繰り広げられます。
海上での軍事力にすぐれていたカルタゴは、名将ハンニバルなどがカルタゴ軍を率いて、一時はローマを追い詰め、優勢に立つこともありました。
しかし、次第に軍事力を高め、大国となっていくローマに対して次第に劣勢になり、紀元前146年の第三次ポエニ戦争の結果、カルタゴは陥落し、滅亡してしまいます。
カルタゴの都市は徹底的に破壊しつくされ、虐殺の限りがしつくされます。
15万人を超えるカルタゴ人は殺害され、5万人以上もの人々が奴隷にされたりします。
そして、破壊の限りを尽くされたカルタゴの土地には、再び草木一本も生えることがないように塩がまかれたのだそうです。
そのため、フェニキア人によって築かれたカルタゴの遺構は、今ではほぼ見ることができなくなっています。

100年ほど後に、ローマのカエサルによってカルタゴには植民都市が再建され、アフリカ大陸におけるローマの主要都市となり、ローマ第二の都市として繁栄を極めます。
しかし、ローマの都市計画によってほとんどが作り変えられてしまったため、今現在残るカルタゴ遺跡のほとんどはローマ時代の物だったりします。

その後は、ゲルマン人によるヴァンダル王国の首都となったり、東ローマ帝国の一都市となったりと、地中海の覇権をめぐる国と国との争いに左右され続けることになります。
7世紀になるとアラブ勢力が台頭することになりますが、アラブ勢力はカルタゴではなく、西のチュニスを拠点とするようになるため、カルタゴの地は放棄され、歴史の中心からは忘れられていきます。

いかがだったでしょうか。
歴史は勝者によって創り上げられていく側面があります。
ローマに敗北し、徹底的に破壊されつくされたカルタゴは、歴史の上では後の世の人々には伝説でしか受け継がれていくしか仕方がなかった幻の大国だったのかもしれません。
しかし、後の世になって、カルタゴのあった地は、ローマの一都市として再び繁栄を極めたり、アラブ勢力によって台頭してきたりと、その後も地中海の歴史に顔を表します。
現在はチュニジアの一都市にしか過ぎない場所ではありますが、一時期はここが地中海のすべてを手にしていたかもしれない、と考えると、壮大な歴史のロマンを感じずにはいられません。