667【カンボジア紀行】カンボジア内戦時代に使われた兵器や弾薬などが展示される『カンボジア戦争博物館』

カンボジア(Cambodia)
この記事は約7分で読めます。

近代のカンボジアの歴史は戦争の歴史なしに語ることはできません。
周辺列強の影響を多大に受け続けてきたカンボジア。
欧米列強が進出してきた際に苦難の歴史を経てきたカンボジア。
第二次世界大戦で、一時期日本が進出してきたカンボジア。
周辺国の戦争に不運にも巻き込まれてしまう結果になったカンボジア。
ようやく独立を勝ち取り、自分たちの国ができると思ったのに、今度は自分たちの国の内部での争いが激しくなっていったカンボジア。
全てを失ってしまい、近代国家へと苦しみながらも歩みを進めるカンボジア。

カンボジアの歴史を見ると、短期間の間に大きな戦いの歴史に翻弄され続けてきたことがわかります。
そんな苦難の歴史を乗り越えるため、過去のこの国の歴史をしっかりと次の世代に受けつないでいくため、戦いの歴史からは目を背けてはいけません。
そんなカンボジアの戦いの歴史を今の私たちに伝え続けてくれている施設の一つが今回紹介しているカンボジア戦争博物館です。

たくさんの兵器や弾薬などが、無造作に展示されているこの博物館。
しかし、逆にそのように展示されている展示品の数々からは、この国が経てきた戦争の生々しさが伝わってくるようなのです。
今回はそんなカンボジア戦争博物館について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • カンボジアの戦いの歴史を象徴するかのような博物館、カンボジア戦争博物館。アンコール遺跡もいいけれど、近代のカンボジアのこともしっかりと学びに行こう。

カンボジアの世界遺産に関する記事です。

637【カンボジア紀行】アンコール・トム王宮近くライ王像で有名な『ライ王のテラス』
アンコール・トムというと、四つの面全てに顔が彫られている四面塔で有名なバイヨン寺院がありますが、敷地内には王宮をはじめ、仏塔やテラスなどの様々な遺跡が残されており、アンコール・トムだけでも見どころが非常に多い場所です。今回紹介しているライ王のテラスは、そのネーミングからアンコール・トム遺跡群の中でも印象強く残る場所です。
525【カンボジア紀行】巨大な人工池の中心に浮かぶ人工島。そこに浮かぶ寺院『ニャック・ポアン』
アンコール・トムの北には、東西バライに比べるとその大きさはかなわないものの、大きな人工貯水池(バライ)プリヤ・カーン・バライが残されています。そしてその貯水池の陸続きになった先に寺院が残されています。この寺院をニャック・ポアンといい、寺院内にも水がたたえられている構造となっています。
520【カンボジア紀行】広大なアンコール・トムの入り口。観音菩薩の四面塔が印象的な『アンコール・トムの南大門』
アンコール地区の観光では、まずは誰しもがアンコール・ワットにまずは向かうことになると思います。そして、そこから北にあるアンコール・トムに向かうと、バイヨンで見られるような四面塔をもつ巨大な南大門が私たちを迎えてくれます。今回はそんな南大門について紹介していきたいと思います。
508【カンボジア紀行】ジャヤヴァルマン5世により建設されたが、王が死去したこっとで未完成で放置されたヒンドゥー教寺院『タ・ケウ』
今回紹介するタ・ケウは、アンコール・トムのすぐ東にあるヒンドゥー教寺院です。ピラミッド式の寺院であり、高く積み重ねられた寺院であることが分かるのですが、アンコールのほかの遺跡とは大きく雰囲気が異なるところがあります。
449【カンボジア紀行】かつて存在した貯水池東バライの中央にあった、かつては人工の島だった『東メボン』
アンコールの東側にも、巨大な貯水池 東バライがかつては存在していたのです。現在は枯れてしまっていますが、アンコール最盛期には東西のバライによって、農業生産が盛んにおこなわれていただろうことが想像できます。そして、人工の島 西メボン同様に、この東バライにも人工の島 東メボンがあったのです。
440【カンボジア紀行】夕日鑑賞のベストスポット。アンコール遺跡群の中でも唯一の丘の上に建つ遺跡『プノン・バケン』
アンコール遺跡の中でも珍しく、丘陵の上に建てられた寺院を紹介したいと思います。今回紹介しているプノン・バケン寺院ですが、アンコール・トムのすぐ南にある小高い丘陵の上に設けられた寺院です。
430【カンボジア紀行】アンコールで唯一のギリシャ風2階建て建造物をもつ『 プリア・カン』
アンコール遺跡の中でももっとも大きな場所を占めるアンコール・トム。さらにその北には、規模はアンコール・ワットより少し小さくはなるのですが、アンコール遺跡群の中でも有名な遺跡の一つプリア・カンがあります。このプリア・カンですが、アンコールにある寺院の造りである、中央の祠堂を回廊で囲んだ形になっています。
420【カンボジア紀行】王の沐浴場スラ・スランと対になった寺院跡『バンテアイ・クデイ』
元々は東バライの代替え施設として建造された貯水池スラ・スラン。そして、その対面には僧院があったのだそうです。しかし、その後その僧院はバンテアイ・クデイに。そしてスラ・スランは王のための沐浴場として整備されたのでした。今回はこのバンテアイ・クデイにフォーカスして紹介をしたいと思います。
368【カンボジア紀行】川に沿って作られたクメール遺跡。川底に遺跡が眠る異色の場所『クバール・スピアン』
今回紹介しているクバール・スピアンはそんな遺跡の一つであり、なんとこの遺跡、実は『川底にある』のです。数多くの遺跡を抱えるカンボジアですが、このように川底や川岸に沿って遺跡が連なる場所は、おそらくここだけではないでしょうか。
321【カンボジア紀行】塔四面に彫られた四面像が有名な『アンコール・トムのバイヨン』
アンコール・トムとは、アンコール・ワットの北に造られた、寺院と王宮を中心とした王都跡の遺跡です。その広大な遺跡の中心にあるのがバイヨンであり、この王都を造った王が考える宗教観と、治政観を体現している遺跡なのです。
282【カンボジア紀行】どんどん観光客に優しい観光地に。10年の変化を見る『アンコール・ワット今昔物語』
世界遺産の中でもトップクラスに有名なアンコール・ワット。ここを10年を隔てて見比べると、この遺跡がどんどんフレンドリーな遺跡になり、観光のしやすいスポットになってきていることが分かったのでした。
194【カンボジア紀行】タイとカンボジアの断崖絶壁の国境にある天空の世界遺産『プレアヴィヒア寺院』
カンボジアの世界遺産といえばアンコールワットですよね。2007年にシェムリアップとプノンペンの中間地点ぐらいにあるサンボー・プレイ・クック遺跡群が登録され、現在カンボジアには3つの世界遺産が登録されています。その残りの一つが、2008年に世界遺産登録されたプレアヴィヒア寺院です。
037 【カンボジア紀行】世界遺産タ・プローム 今昔物語
カンボジアのシェムリアップ。素晴らしい遺跡群があるこの地を、今と昔を見比べながら、その変遷をたどっていきたいと思います。

カンボジア戦争博物館

カンボジア戦争博物館は、カンボジアのシェムリアップにある戦争兵器や弾丸などが展示された博物館です。
ここでには、ベトナム戦争時やその後に勃発したカンボジア内戦時に使用された兵器や弾薬などが保存されて一般展示されています。

2001年に戦争博物館(シェムリアップ戦争博物館)は開館されました。
シェムリアップ空港と市の中心部を結ぶ間に設けられた戦争博物館は、博物館ではあるものの、屋外に無造作に戦車や戦闘機、弾丸などが展示された場所でした。
そのような展示方法だったため、開館から10年以上はほとんど注目されない施設になっていました。
しかし、運営体制の変更や名称をカンボジア戦争博物館に変更したこと、施設の再建などを経て、徐々にではあるものの訪問者の数も増えてきていました。

ここで展示されているものは、実際に戦闘が行われた場所から収集され、この場所に持ってこられました。
今ではインドシナ戦争時、カンボジア内戦時に使用された旧ソ連製や中国製の戦車やヘリコプター、小銃や手りゅう弾、地雷まで、大小さまざまな兵器が展示されるようになっています。
また、写真展示などもあり、カンボジアが経てきた戦争の歴史を生々しく伝え続けています。

そんなカンボジアの歴史をたどってみると、近代カンボジアは激しい戦いの連続でした。
カンボジアは、周囲を他国と隣接する立地、欧米諸国の植民地時代に狙い撃ちにされた東南アジアにあるということもあって、時代の中で様々な国々によって影響を受け続けてきた国です。

古くはインドの文化に強い影響を受けていた時代から始まり、クメール王朝成立後の西暦900年ごろには、東南アジアのほぼ全域及ぶほどの影響力をもった国でもありました。この時代にアンコール遺跡などが建造されています。
しかし、周辺諸国も着実に力をつけていき、周辺にあるシャム(タイ)とベトナムによって属国化された時代を迎えます。
そのような二重属国状態を脱するためにカンボジアが助けを求めたのはフランスでした。

フランスによる保護を受け植民地ではあるものの、それまでの体制が維持されたカンボジア。
しかし、第二次世界大戦後にフランスから独立し、自分たちによる国づくりが進められることになりますが、そこからのカンボジアが進む道は苦難の連続でした。

カンボジアを戦火に引き込むきっかけになったのは、ベトナム戦争のカンボジア領内への拡大でした。
北ベトナムの南ベトナムに対する攻撃を支援したカンボジア領内のルートをアメリカ軍による空爆を受けることになります。
戦乱に巻き込まれたカンボジアに共産勢力であるクメール・ルージュが台頭し、親米派によるカンボジア内戦が勃発。
権力を掌握したクメール・ルージュによるカンボジア国民の大虐殺
ポル・ポト率いる民主カンプチアとベトナムとの武力衝突であるカンボジア・ベトナム戦争など、多くの戦乱にカンボジアは巻き込まれて続けてきました。

このような戦いの歴史に巻き込まれ続けてきた結果、カンボジアは自分たちの力で民主的な近代国家を築くための国力ですら乏しいような国になったしまったのです。
しかし、周辺諸国のどこよりも近代化し経済発展していくことには時間がかかったかもしれませんが、着実にカンボジアも一歩ずつ前へと進み続けています。

そんなカンボジアの歴史をしっかりと見つめ、過去から学ぶことによって前へ進もうとする決意がこの戦争博物館には示されているのではないかと思います。

アクセス

シェムリアップ国際空港から南東に5kmほどのところにあります。

カンボジア戦争博物館へ行ってみた

それでは、カンボジア戦争博物館へ行ってみましょう。
写真のカンボジア戦争博物館は2006年時の物です。
2018年にはリニューアルオープンされている戦争博物館ではありませんが、この博物館の様子がよく伝わる写真の数々となっています。

敷地内に入ると、木々の中にかつて使われた戦闘機や、戦車などが並べられています。
しかし、かなり手入れなどは行われていなかったため、錆などが激しい状態になっていました。
(現在はそのあたりの手入れはしっかりと行われ、保存状態も向上しているようです。)

こちらは戦車です。
この場所で雨ざらしになっているからか、かなり状態は良くないです。

木々の中から敵を待ち受けるかのように配置された戦車です。

こちらには上段に地雷が、下段には弾薬が展示されています。

こちらも弾薬です。
下段には破裂して形を変えたものも展示されていました。

こちらは多くの戦車があります。

こちらは移動型の対空砲です。

かなり大きな規模の対空砲もありました。

戦地で用いられた自動車です。

ここは展示前の場所でしょうか。
無造作に地雷や弾薬が積み重ねられています。

地雷を運ぶ荷車のようです。

これは何かよくわかりません。
中に入ることもできませんでした。
どくろマークが生々しいです。。。

こちらも洗車です。

ここには兵隊たちの携行品なども展示されていました。

アンロンベンという、クメール・ルージュの残党たちが最後に過ごした場所の写真が掲示されていました。

いかがだったでしょうか。
ここを訪れたのが2006年。
実はこのころの戦争博物館は、一日に数十人しか訪れないほど誰もがやってこない場所でした。
実際、写真にも他に誰も映っていないことからわかるでしょう。
現在はそういった状況から脱却し、多少は施設も改善されていったということですが、この国がたどってきた歴史をしっかりとみらいで教訓とするためにも、ここは大切な施設なのだと思いました。