これまでも数多くの百名上についての紹介をしてきましたが、様々な城がありました。
その中で、大きく形の違う城がある地域があったことにはお気づきでしょうか。
本州・四国・九州にある城は、その建築様式やスタイルなどは、年代によって異なる部分はあるものの、大体は似たようなものだと思います。
ところが、沖縄の城はどうだったでしょうか?
石垣の造りから縄張りや建造物の造りなど、本州をはじめとしたそれとは大きく異なるスタイルをしていましたね。
そして、北海道の城もまた本州などとは異なる造りをしているのです。
それもそのはず、北と南のこれらの地域は、もとはといえば異なる国。
そのため、城の造りが異なることも当たり前なのですね。
では今回は、本州と比べて、北海道や沖縄の城にはどのような特徴があるのか、紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
沖縄の城郭
沖縄は1429年から1879年まで琉球王国という日本とは異なる国でした。
そのため城郭建築にも本州などとは異なる特徴がありました。
沖縄では城のことをグスクといいます。
現存しているものは多くはありませんが、かつてはグスクが沖縄全域に約300か所もあったとされています。
グスクの多くはまだ沖縄が分裂していた三山時代から琉球王国成立期にかけて造営されたものが多くなっています。
グスクの特徴は石塁によって築かれていることです。
石垣で城郭建築が行われているという点では、14世紀ごろから行われていたということであり、本州などよりも古くから石垣を用いられていたことになります。
また、石垣がゆるやかなカーブを描いている曲線城壁になっていることが特徴です。
また、その城壁の上が通路となっていたりする子tも特徴なのです。
またこの曲線系を用いたのは石垣だけではなく、石垣の一部を開口させて造られた門の上部がアーチ状になっていて強度を高めているのが特徴となっています。
このような立派な建築様式になっているグスクですが、必ずしも戦いや防御といったことを考えて造られた建築物であったとは限りません。
もちろん戦いのためのものもありましたが、地域の王などの居城になっていた館があった場所であったり、拝所として使われていたりと、沖縄での土着の信仰とも結びついた使い方もされていたようです。
また、城壁に囲われた中に集落をつくって、その地域の長と住民、そして信仰の場が一緒になった場所であったとも考えられています。
沖縄の次の5か所のグスクは、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』を構成するグスクとして世界文化遺産に登録されるとともに、日本百名城及び続日本百名城にも登録されています。
中城城

今帰仁城

勝連城

座喜味城

首里城

北海道の城郭
北海道といえば、明治期に開拓されるまではアイヌと呼ばれる民族が住む広大な土地でした。
そこでは、アイヌ民族の人々が城砦を築いていました。
城砦とはいいますが、自然の地形を利用した砦という方が適しているかもしれません。
こういったアイヌの砦のことをチャシといいました。
そのようなチャシという城砦が約500か所にわたって存在していたことがわかっています。
しかし、アイヌには古くからの文献等が残っていないため、その多くの遺構は見つかっていないと考えられています。
特に、道東地域に偏って分布しており、日本百名城の栄えある1番にあたるのが『根室半島チャシ跡群』であり、道東地域に存在しています。
そんなチャシが築かれたのは16~18世紀頃であることがわかっています。
本州などとの城郭とは違って、自然にある平坦な地に、空堀で周囲を囲い、簡易な施設などを設けたものであったと考えられています。
また、チャシはその築城した場所によって、4つに分類されます。
・山や尾根の頂を利用して造られる丘頂式。
・平坦地やその名の通り湖の中の島などを利用した孤島式。
・丘や岬などの突出した先端の場所を利用した丘先式。
・崖の上に半円状の壕を築いて造る面崖式
このように自然の地形を用いてる蔵れていたため、アイヌの人々にとってはただの防御施設としてだけではなく、聖域としても見られており、そういった痕跡も残っているのだそうです。
根室半島チャシ跡群

いかがだったでしょうか。
国が違えば生活様式も、言葉も、伝承されてきた建築様式も異なります。
そういったところに目を向けると、日本も様々な地域がそれぞれに歴史を紡いできているということがわかります。
沖縄のグスクも、北海道のチャシも今ではそのぞんざいがわからなくなってしまっている場所がほとんどになってしまっています。
しかし、百名城の事業などによって、城郭がその価値を認められて保存される時代になりました。
いま私たちの目の前にある城郭をしっかりと次の世代に受け継いでいかなければいけませんね。