マラッカの街の中央にはセント・ポールの丘という小高い丘があります。
その丘の上には、街中のどこから見ても見える小さな教会跡が残っています。
ここはセント・ポール教会といいます。
かつてポルトガルがマラッカを支配していたころ、マラッカはキリスト教宣教師たちの活動拠点の街でもありました。
その頃に宣教師たちによって使われていた教会跡なのです。
現在では、一部の屋根を除いては教会の外壁だけが残っている状態になっており、廃墟のようになっています。
ところがこの教会跡、日本にもなじみのあるとある歴史上の人物に絡んだ場所でもあったのです。
というわけで、今回のわきみちは、
マラッカについての記事です。









セント・ポール教会
マレーシアのマラッカにあるセント・ポール教会は、現在はその遺構が残されるのみとなっているかつての教会跡です。
現在は、一部の屋根だけを残して、レンガ造りの壁面がそそり立つだけの遺構となっています。
ここは1521年に、当時マラッカを支配していたポルトガルのキリスト教カトリック派の宣教師たちによって建造された教会です。
もともとはシンプルな礼拝堂として築かれました。
1548年にこの礼拝堂は、イエズス会に譲渡されたことによって、聖フランシスコザビエルがここの所有権を取得します。
そして、イエズス会の仲間の力を借りながら礼拝堂の敷地内に学校も設立されました。
ザビエルは、その後ご存じのように日本へ布教活動へ旅立ち、1549年から2年間の活動を行った後、インドへ戻ります。
再び日本への布教活動の足掛かりとするために、中国への布教活動を始めようと上川島へ上陸した後に病気になって1552年に亡くなります。
ザビエルの遺体は、一時的にこの教会に埋葬されます。
ザビエルが埋葬されたとされるされる場所が教会内にはまだ残されています。
ザビエルの遺体は腐敗していなかったといわれるなど、遺体を取り巻く奇跡のような話が今もなお伝わっています。
9か月間この教会で安置されたザビエルの遺体は、最終的にゴアにあるボン・ジェズ教会へ移され、現在も安置されており、10年に1回、一般の人々へも公開されています。
一方セント・ポール教会は、1556年には2階部分が増築され、1590年には鐘楼が、1592年には地下納骨堂が追加されるなどして建物が拡張されていきます。
そのころには名称も『神の母の教会』と呼ばれるようになりました。
その後、17世紀中ごろにマラッカの街はオランダ人によって侵略され、その手に委ねられることとなります。
教会はオランダとの攻防の際に大きく破壊されましたが、オランダのキリスト教宗派であるオランダ改革派教会によって使用されるようになり、1753年にオランダ広場にあるマラッカキリスト教会ができるまではオランダ人たちの主要な教会として使用され続けました。
しかしその後、教会の建物自体が老朽化していくにつれ、教会としてではなくマラッカの要塞として強化されていき、教会内部は墓地としても使用されていくことになります。
また、1824年にイギリスによってマラッカが占領されてからは、火薬庫として利用されるようになり、建物はどんどん朽ちていきました。
20世紀に入ると、セント・ポール教会で見つかった墓石や地下納骨堂などの発掘が行われるようになり、徐々に丘の上の名所として知られるようになっていきます。
一時期はここに知事公邸を立てようとした話もあったようですが実現には至りませんでした。
教会内部にはワイヤーで囲われている場所がありますが、ここにザビエルの遺体が埋葬されていたことがわかっています。
ザビエルがマラッカでの滞在から400周年を記念してフランシスコザビエル像がこの教会跡の前に立てられました。
ところが、像が奉献された翌日に木がその上に倒れ落ち、像の右腕を折ってしまいます。
実は、ザビエルの遺体は1614年に右腕が切り離されており、右腕はローマ・ジェズ教会に安置されているのです。
こういった話からも、フランシスコザビエルにまつわる奇跡の話がいくつも言い伝えられていることがわかります。
アクセス
オランダ広場から南に200mほどの丘を登ったところにあります。
セント・ポール教会に行ってみた
それではセント・ポール教会に行ってみましょう。

オランダ広場から丘を登っていくと、赤いレンガ造のセント・ポール教会跡が見えてきます。


周囲にはこのように墓石が点々と残されています。
プロテスタント派の墓らしいです。

この丘の上からの景色は素晴らしいものがあります。
ここからはマラッカの美しい街並みが一望できることと、遠くにはマラッカ海峡をも見渡すことができるスポットであり、夕暮れ時にはその風景を求めて多くの人々が訪れます。

そしてこちらがセント・ポール教会です。
正面にあるのがフランシスコザビエル像であり、右手の先が欠けているのがわかります。

こちらはセント・ポール教会の鐘楼ですね。
ここはセント・ポール教会の中でも状態がよく残されています。

壁にはプロテスタント教徒の墓石が教会内に立てかけられています。

一番奥までやってくると、唯一屋根が残る場所があります。

ここには金網で囲われた場所があり、ここがかの有名なフランシスコザビエルの遺体が埋葬された場所なのだそうです。
もともとは教会の祭壇があった場所だということです。

その周囲にもこのように立派な墓石が立てかけられています。



祭壇側から入口方面を見てみました。
ごっそり屋根がないことがわかることでしょう。
数々の歴史を経てきている建物であるため、かなり朽ちていっていることもよくわかります。
いかがだったでしょうか。
教会としての役目を終えた後も、軍事目的として使われて教会跡。
実際この場所は、マラッカを守る要塞としてもうってつけの場所だったのでしょう。
マラッカの所要なスポットを巡る際には欠かせない場所なので、歴史の授業でもおなじみだったザビエルの痕跡を見ることができる貴重なスポットとしても、ぜひ訪れてみてください。