680【人物あれこれ】北海道のさらに北。未開の地がどうなっているかを確認した探検家『間宮林蔵』

人物あれこれ(Person)
この記事は約4分で読めます。

北海道から宗谷海峡を挟んでさらに北。
縦に長い一つの島があります。
この島はサハリンといい、日本名だと樺太と呼ばれていました。
現在ではここはひとつの大きな島であることがわかっていますが、実は長らくここは島なのか、半島なのか、わかっていない時代が長く続いていたのでした。

そんなサハリン(樺太)が島なのか、半島なのか、それを確認するために江戸幕府は役人を派遣し、実際にはどうなっているのかを調査させます。
この時派遣された1人が間宮林蔵といいます。
現在、サハリン(樺太)と大陸ロシアとの間の海峡が間宮海峡と呼ばれているのはこの人物からきています。
今であれば衛星写真で一瞬でサハリン(樺太)が島であることは一目瞭然。
しかし、当時であれば地道に島の周囲を全てたどっていかなければならないのです。

今回はこの間宮林蔵という人物がどのような人物で、何を成し遂げたのかを調べてみました。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • まだまだ未開の地だったサハリン(樺太)。そこに挑んだ探検家 間宮林蔵とはどのような人物だったのでしょうか。

間宮林蔵

間宮林蔵とは1770年代頃に生まれた、江戸時代後期の江戸幕府の役人だった人物です。
また、サハリン(樺太)が島であることを確認したり、間宮海峡を発見した人物としても知られています。

元々は農民の子であった林蔵でしたが、そのたぐいまれなる地理や算術の才能から幕府の役人として登用されるようになります。
主に北方の調査を担っていた林蔵は、火の日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬から測量技術を学んだのだそうです。
伊能忠敬に師事したことによって間宮林蔵の測量技術は非常に優れたものをもっていました。
そのため、伊能忠敬が地図を作成する際に、蝦夷より北の地図は林蔵が作成した測量図が用いられているのだそうです。

樺太へ調査に旅立つ

現在の北方領土の調査を行っていた林蔵でしたが、1808年に江戸幕府の命によって樺太を探索することになります。
このころ、日本側の人たちからは樺太が島であるのか、半島であるのかがわからずにいました。
実際、この地域に居住していたアイヌや女真族などの人たちにとっては、海峡を渡って大陸と行き来していたため、樺太が島であることは知られたことだったそうなのですが、江戸幕府としては正確に調査したことがなかったため、その点がはっきりしていませんでした。

幕臣であった松田伝十郎とともに樺太にわたった林蔵でしたが、南端から西回りを松田が、東回りを林蔵が、というように二手に分かれて樺太の探索を進めていきました。
ところが林蔵は南端から直線距離400km北上したところでそこから北へ向かうことが難しくなったため、200kmほど南下してから、樺太最狭部から西岸に渡り、海岸にそって北上していきました。
松田と合流した林蔵はさらに北上し、ラッカと呼ばれる場所から大陸との最狭海峡部に到達したことで樺太が島であることを確信します。

再度樺太へ

一旦宗谷に戻って再度の探索許可を願い出た林蔵は、今度は単独で樺太の探索にでかけます。

今度はラッカよりもさらに150kmほど北上したところまで到達し、ここで樺太が島であることを確認しました。
林蔵はそれだけに留まらず、海峡を渡って大陸に行き、大陸のアムール川周辺のロシア帝国や清国の状況も調査しました。
なお、日本側からは樺太が島であるか半島であるかがわかっていなかったように、大陸側からも樺太が島であるか半島であるかが長くわからずにいたのだそうでした。

後に、これらの功績が認められたため、間宮林蔵は樺太が島であることを確認した人物として認められることとなります。
そして、樺太と大陸間の海峡はタタール海峡(間宮海峡)と呼ばれるようになりました。

後年は、その豊富な蝦夷や樺太などの見識のために、幕府からも徴用されることになりました。
最後は1844年に江戸にて病没しています。

林蔵が発見した間宮海峡ですが、最狭部で7km弱、最も水深の深い部分でも8mほどでしかない海峡であり、林蔵が発見した後も長らく船舶が通航可能かどうかはわからずにいたそうです。
ここが船舶の通行が可能かどうか確認されたのは1848年にロシアの探検家であったゲンナジー・ネセリスコイが実際に船舶で通航できることを確認したことではっきりとしたのだそうです。

いかがだったでしょうか。
間宮林蔵を調べていくと、伊能忠敬の名前が出てくるなど、歴史的な人物たちがつながりをもっていたことには驚きでした。
このような人物たちが自らの測量技術を高めていき、地道に調査研究を進めたことによって、歴史を大きく動かすための原動力になっていったのでしょう。
先人たちの偉業にはただただ驚きを感じさせられます。