682【ウズベキスタン紀行】かつてのサマルカンドの中心地だったアフラシャブの丘。そしてそこにある『ハズラティ・ヒズル・モスク』

世界の世界遺産(World Heritage)
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ウズベキスタンのサマルカンド
同国を代表する観光都市としても有名なこの街ですが、中心であるレギスタン広場から2kmほど北東に、街中であるにもかかわらず2.5km四方ほどにもおよぶ広大な何もない土地が広がっています
その周囲には多くの民家が立ち並んでいるにもかかわらず、なぜこの一画だけがこのように開発されていない場所なのでしょうか。
もちろんそれには理由があります。

じつは現在何もないこの一帯は、かつてのサマルカンドの町の中心部だった町なのです。
しかし、13世紀にモンゴル軍が襲来してきたことにより、かつての旧サマルカンドの町は徹底的に破壊しつくされ、壊滅してしまいます。
そのため、この一帯は発掘作業の続けられている保護地域となっているのです。

そんなかつての町の中心だったこの丘一帯をアフラシャブの丘といいます。
今回はこのアフラシャブの丘について紹介をしていきたいと思います。

それに加えて、このアフラシャブの丘の南西端にはモスクが立っています。
このモスクはハズラディ・ヒズル・モスクといいます。(ヒルズではありませんw)

今回はこの丘と、丘に残るモスクについて紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • かつてのサマルカンド繁栄の痕跡を残すアフラシャブの丘。そして、新しく築き上げられてきたサマルカンドの街を見続けてきたモスクを見に行ってみよう。

ウズベキスタンに関する記事です。

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アフラシャブの丘とハズラティ・ヒズル・モスク

アフラシャブの丘

ウズベキスタンはサマルカンド、その中心部から北東の部分に、アフラシャブの丘という見渡す限り何もない草木も見えない大地が広がっています。

街の中心部にありながら、民家一つ見えないこの広大な土地。
なぜこんな街中にこのような場所があるのでしょうか?
それはここが、アフラシャブ州考古学保護区として、かつての重要な史跡が埋もれていることから、都市開発を行うことができない場所になっているからです。

実際訪れてみると、かつては城塞として使われていたような場所が残されています。
なぜならここは、13世紀ごろまではサマルカンドの中心地だったからなのです。
ところが、モンゴル軍が襲来したことにより旧サマルカンドは徹底的に破壊しつくされました。
そのため、もともとサマルカンドの町があったこのアフラシャブの丘は、草木も生えない場所になってしまったのです。
しかしその足元には、なんとかつてアフラシャブの丘に栄えた文化の痕跡が11層にもなって残っているのだそうです。

かつてのサマルカンドの町は、現在確認できる記録では、当時としては最先端のインフラが整えられた町として言い伝えられいます。
町は城壁で囲まれ、4つの門がそれぞれの方角に向かってシルクロードなどの重要な交易路につながっていました。
また町中は、舗装された道が行き交い、東西様々なところからやってくる商人たちによって様々な文化が集まってくる、最先端の都市だったのです。
さらにこの町のすごかったところは、水道設備がしっかりと各家庭に張り巡らされていたことでした。
町の中を鉛の管が張り巡らされ、人々が大量の水を利用できる、ウズベキスタンのような水の手に入りにくい地域では画期的なインフラが整っていたのです。
そのため、乾燥した砂漠地域である者のサマルカンドの町中は緑であふれ、まさしく人々のオアシスだったのです。

しかし、そういった水道システムがあったからこそ町が発展したこともあり、そこを狙われてしまうと、あっという間に都市機能を失ってしまう危険性もありました。
実際、モンゴル来襲の時にはこの水道システムが破壊されたことによって、あらゆる機能が停止してしまい、人々は町そのものを放棄しなければならない事態になったと考えられています。
当時としては画期的な都市システムを備えていたかつてのサマルカンド。
いったいどのような町だったのか、今では空想するしかありませんね。

そして、今では何もないアフラシャブの丘ではあるのですが、その南西端に唯一といっていい古い建物がポツンと残されているのです。
それこそが今回紹介したいもう一つの場所、ハズラティ・ヒズル・モスクです。

ハズラティ・ヒズル・モスク

ハズラティ・ヒズル・モスクは、アフラシャブの丘の南西端に立つモスクです。
この場所にはかつて、ペルシアを中心に信仰されたいたゾロアスター教の寺院が立っていました。
しかしその後、アラブによってこの地が侵略された後の8世紀初めに、ムスリムのモスクが建てられました。

ところがその後、サマルカンドがモンゴル軍に破壊されたときにここも破壊されてしまいます。
そこから数百年が経ち、19世紀のブハラ・ハンの時代になって、今も残るハズラティ・ヒズル・モスクが建てられます。

ハズラティ・ヒルズは旅人の守り神として多くの人たちから信仰を集め、旅立つ前の旅人たちはみんなここに旅の安全を祈りに来たということです。
内部に入ると、美しく彩色された木造のテラスがあります。
ここからは現代サマルカンドの町の様子を見渡すことができる場所となっており、サマルカンドのバザールの賑わいも見渡せる場所となっています。

アクセス

レギスタン広場から北西に1.5kmほどの場所にあります。

アフラシャブの丘とハズラティ・ヒズル・モスクへ行ってみた

それでは、アフラシャブの丘とハズラティ・ヒズル・モスクへ行ってみましょう。

今回は、アフラシャブの丘の南端にあるシャーヒ・ズィンダ廟群から西にあるハズラティ・ヒズル・モスクへと行ってみました。

こちらがシャーヒ・ズィンダ廟群です。
別記事でまとめていますのでそちらも併せてご参照ください。

482【ウズベキスタン紀行】古代サマルカンドの中心地アフラシャブの丘に建つ霊廟群『シャーヒズィンダ廟群』
シャーヒズィンダ廟群はそんなティムールに縁のある人々が多数葬られている場所なのです。ティムールの親族の人々だけではなく、部下であった将軍とその関係の者、ティムール朝で重要だった学者などの廟もここには集められているのです。

西に向かって身を歩いていくとハズラティ・ヒズル・モスクが見えてきました。

こちらがハズラティ・ヒズル・モスクです。
今は大きな道沿いに構えています。

建物前面に見えているのが木製のテラスになっており、ここからサマルカンドの街並みが満たせるようになっています。
残念ながらこの時は内部までは入らなかったのですが、日本円で180円ほどで入館することができ、景色はもちろん、彩色豊かな内部の様子なども見ることができるモスクになっています。

いかがだったでしょうか。
もう少しアフラシャブの丘については紹介したかったのですが、如何せんこの丘の場所が広く、徒歩で回るのが大変だったこともあって、訪れたときは断念してしまいました。
丘をさらに進むと、アフラシャブ博物館などもあるのだそうです。
次回訪れたときは、旧サマルカンドの痕跡をもっと観察してみたいものです。