今回は久しぶりにスリランカの世界遺産ポロンナルワについての記事です。
ポロンナルワはスリランカの中部。
文化三角地帯と呼ばれる、アヌラーダプラ、キャンディ、ポロンナルワからなる世界有数の遺跡群が残る地の一つとして有名な場所です。
その中にあるポロンナルワは、当時のシンハラ王朝が南インドからやってきたチョーラ王朝の大群によって当時の首都であったアヌラーダプラを征服され、追い出されたシンハラ王朝が新たな首都として定めた場所でした。
ポロンナルワの全盛期は10世紀~12世紀ごろになります。
首都となり発展したポロンナルワですが、チョーラ王朝が南下をして侵略を進めた結果、アヌラーダプラ同様に首都を放棄せざるを得ない状態になります。
ポロンナルワはその後、急激に衰えるようになり、数百年にわたってジャングルの中に埋もれた遺跡となってしまいます。
20世紀になって遺跡の発掘が進むようになり、その全容が見られるようになり注目を集めるようになってきました。
そして、ポロンナルワは1982年に古都ポロンナルワとして世界文化遺産にも登録されるまでになります。
そんな発掘の進むポロンナルワですが、まだまだ解明されていないことも多いのです。
今回紹介しているのはそのような中の一つなのですが、ポロンナルワ遺跡地区の南部に1体でたたずむ岩に彫り込まれた石立像です。
この像はいったい誰なのか?
それはまだまだ解析されていないことなのです。
というわけで、今回のわきみちは、
スリランカのポロンナルワの世界遺産に関する記事です。





石立像
スリランカの中部、文化三角地帯の南東に位置する町ポロンナルワ。
ここは、10~12世紀ごろ、当時のシンハラ王朝の首都であった場所です。
南北に長いポロンナルワの遺跡地区には、数多くの遺跡が点在しており、その歴史的価値から古都ポロンナルワとして世界文化遺産にも登録されています。
そんなポロンナルワの南端には、ポトグル・ヴィハーラというかつて仏教の経典などが保管されていた図書館であったと考えられている遺跡があります。
そのポトグル・ヴィハーラから100mほど北に行った荒野の中に、屋根に追われた大きな岩があります。
この岩には、人間より少し大きな立像が彫られており、石立像と呼ばれている遺跡です。
年月を感じさせないほど非常に状態もよく残っているこの石立像は、まだまだ謎に包まれている遺跡なのです。
ひげをはやし、ヤシの葉に書かれた仏典を熱心に読みふけるこの像は、そもそもが誰の像なのかというところが議論され続けています。
ポロンナルワを華やかな首都として発展させたパラークラマ・バーフ1世なのか。
哲学者プラスティなのか。
インドの宗教家アジャスタヤなのか。
現在のところそのモデルはこういった歴史上の人物などではないかとされています。
マップなどでは、パラークラマ・バーフ像と書かれているようです。
パラークラマ・バーフ1世は、首都として遷都してから数十年経っていたいたポロンナルワを、首都として都市構築したことに貢献した王でした。
パラークラマ・バーフ1世の時代にインフラや高度な農耕環境が構築され、交易や農業によって非常に豊かな時代を迎えることができました。
そういった功績によって言い伝えられるほどの人物だったようです。
アクセス
ポロンナルワの遺跡地区南端の方角にあります。
石立像へ行ってみた
それでは石立像へ行ってみましょう。
ポロンナルワの遺跡群の中でも、ポツンと南端の離れた場所に、ポトグル・ヴィハーラと石立像はあります。

こちらが石立像です。
この周辺は発掘地帯となっているようです。
石立像には簡易ではありますが屋根が付けられていて風化防止策が講じられています。

何かと比較できればよかったのですが、それほど大きな像ではありません。

700年近くの歴史を感じさせないほど状態よく残っていますね。
おそらくですが、地中に埋没してしまっていたのかもしれません。
地上に出ていたのであればもっと破損状況はひどかったことでしょう。
パラークラマ・バーフ1世と考えられる人物が仏典を読んでいます。
この近くにかつて図書館であったポトグル・ヴィハーラがあることから考えると、何らかの関係があったのかもしれません。
まだ発掘の終わっていないこの周辺では、もしかしたらさらに関係の深い意向が出てくるかもしれませんね。
いかがだったでしょうか。
ポロンナルワ観光は自転車で行ったのですが、広く遺跡が点在しているポロンナルワでは自転車で回るのがちょうどよいサイズの観光地です。
だからこそ自分のペースで今回紹介したような場所も自由に回れるわけですね。
今回出てきたポトグル・ヴィハーラは、後日ブログ記事として公開したいと思います。