太平洋には数々の島々があります。
しかし、そこにどのような国があるのか、またどこにあるのかといったことを聞いてみると、意外なほどにその位置関係などは知らないと思います。
太平洋の島々を大きく地域に分けると、北西にあるのがミクロネシア。
南西にあるのがメラネシア。
東部に南北に広がるのがポリネシアです。
この辺りは、中学校の地理などで習うのではないかと思います。
この中でもミクロネシア内にある、小さな島々の連合国家が今回調べているミクロネシア連邦です。
ハワイなどに比べると比較的近いエリアにあるミクロネシア連邦ですが、日本から訪れる人々はほとんどいないのではないかと思います。
そんな近い地域にあるにもかかわらず、この国のことをよく知らないのはもったいないのではないでしょうか。
では、この国にはどのようなものがあるのか、調べていってみましょう。
というわけで、今回のわきみちは、
ミクロネシア連邦
ミクロネシア連邦は、太平洋の北西にあるミクロネシア地域にある国です。
この国は国とはいったものの、東西3200km南北1200kmにも及ぶ広大なエリアではあるものの、そのほとんどは海です。
その海に浮かぶ、607もの島々からなる国であり、その中にある4つの主要なヤップ島、チューク島、ポンペイ島、コスラエ島を中心とした4州から構成されています連邦国家になります。
国旗の4つの星は、この4つの州を表しているのだそうです。
陸地部分をすべてあわせると、日本の奄美大島とほぼ同等の大きさになります。

ミクロネシア連邦の歴史
ミクロネシア連邦ですが、紀元前4000年ごろから東南アジア地域から移り住んできた人類が定住していたことがわかっています。
主要な島であるポンペイ島とコスラエは、王朝によって支配されていました。
ところが1500年代になるとヨーロッパの国々が大航海時代に入り、スペイン人たちがいち早くミクロネシアの島々にやってくることになり、ミクロネシア連邦の島々はスペインの領土として宣言され、その中でもヤップ島にはスペイン植民地政府が置かれました。
ところが、スペインはこれらの島々ではキリスト教の布教活動以外の具体的な統治は行われませんでした。
その後、ドイツがヤップ島に侵出してきたことで両国の間にいざこざが勃発しますが、最終的にはスペインが支配していた島々をドイツに売却し、ドイツ領ニューギニアとして植民地状態が継続されるようになります。
時代は20世紀に入り、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発すると、その時期に日本がミクロネシアを南洋群島として占領し、日本の統治下に入ります。
1920年には国際連盟からも正式に日本はミクロネシアの統治を委任され、ミクロネシアに居住していた人々の倍以上の日本人居住者が本土から移り住んでくることになりました。
日本の統治の特徴として、日本語教育や日本国史の教育がクローズアップされますが、それと共に国としてのインフラの整備を必ず行っていました。
電気や水道、道路や学校・病院などの施設など、人々が生活していくために必要な環境が整備されることになり、第一次産業を中心としていたミクロネシアの経済状態は非常に良好なものとなりました。
しかし、第二次世界大戦によって日本が敗北すると、日本が統治していた国々はアメリカの信託統治が行われることとなります。
その状態が約30年ほど続いたのち、ポンぺイ・チューク・ヤップ・コスラエの4地区が独立に向けた住民投票が可決することとなり、この4つの州で、ミクロネシア連邦として1986年に独立することとなります。
1991年には国際連合にも加盟することができ、名実ともに国際社会に加わることとなります。
住んでいる人々としてはミクロネシア系の住民が多いものの、日系や華人なども移り住んでいます。
アメリカによる信託統治の時代を経ていたこともあり、各島々で独自の言語があるものの、英語が公用語として定めらえれています。
また、キリスト教を信仰する人々が大半となっています。

ミクロネシア連邦の現在
しかし、4つの州それぞれは、言語や文化などの異なる地域が1つの連邦国家として成り立っている国であるため、懸念されることはそれぞれの地域から不平不満が表れることです。
そういった課題が表面化しないように、連邦政府は4つの州それぞれの利害関係を調整しながら、経済発展に向けた活動をしていかなければならないという難しい国家のかじ取りがあります。
変わらずに第一次産業が中心となるミクロネシア連邦ですが、国の経済収支はよろしくなく、近年は観光による立国をめざしている国なのです。
ミクロネシア連邦の見どころ
ミクロネシア連邦の観光の見どころなのですが、ビーチだけでは?とも思いがちですが、先ほど述べたようにかつて存在した王朝の遺跡といった見どころもあります。
ポンペイ島ではナンマトル遺跡と呼ばれる場所が残っており、太平洋地域の島々の中では最大規模の古い遺跡ではないかともいわれています。
100以上もの人工島が造られ、そこに築かれた遺跡はまるでアンコール・ワットのようだと及ばれています。
海に浮かぶ人口島の一つ一つに遺跡が構築されている、なかなか他では見られない遺跡ですね。
また、コスラエにはレラ遺跡と呼ばれる遺跡があります。
レラ島という小さな島に築かれたこの遺跡は、19世紀まで実際に王朝が存在していました。
しかし、ヨーロッパ人がここを発見し入り込んできたことによって、島は放棄され荒廃し今に至っています。
いかがだったでしょうか。
まだまだ知らない地域であり、小さな島々なのでビーチくらいしか見どころがないのかなあ・・・、とも思ったりしましたが、実際にはそれ以外にも見どころがあることがわかりました。
島国は島と島との移動が発生してしまうため、どうしても国内移動がそれほど自由にできないイメージがりますが、主要な4島だけでも十分に楽しめる国なのかもしれませんね。