「いただきます。」
この言葉を誰に対して投げかけていますか?
この言葉にはある言葉が隠されています。
それは、「命をいただきます。」ということ。
スーパーに売られている、野菜や肉、魚など、それらは全て命あるものだったもの。
しかし、加工され、パック詰めされ、元の形がわからない状態になったものだけを見ていると、それがもともと命あるものだったということを人々は忘れがちです。
今回取り上げているのはお肉。
元々は命ある動物です。
しかし、日本では、命ある生き物が食材に代わる、その過程を隠します。
だからこそ、食べ物のありがたみ、忘れていませんか?
今回は、なかなか日本ではできない体験について書いていきたいと思います。
場所はインドネシア。
このインドネシアで、自分たちで食べる鶏肉を、自分たちで鶏からさばいてみました。
毎日当たり前のように口にしている肉。
それは私たち自身がさばいていないだけで、どこかのだれかによってさばかれているのです。
それを実際に自分でやってみることによって、食べるということを改めて考えてみたいと思います。
このような内容のため、若干ショッキングな写真も含みますので、閲覧についてはご注意ください。
というわけで、今回のわきみちは、
インドネシアの食に関する記事です。















インドネシアで鶏をさばいてみた
それでは、インドネシアで鶏をさばいた時のことを書いていきたいと思います。

まずは、活きの良い鶏を調達しに行きましょう。
どこの街でもパサールと呼ばれる市場があります。
野菜や果物、肉や魚などが所狭しと並べられている、とても活気ある場所です。

このようにすでにさばいてある鶏肉も売っています。
ダイナミックに並べられているところがインドネシアのパサールらしいところでもありますね。

そんなパサールの一角には、このように生きた鶏がそのまま売られているところがあります。
鶏たちは脚が縛られているため、身動きがとれません。

値段交渉もパサールの醍醐味。
結果的にここの鶏は、700円ほどで購入することができました。

こちらがその時に購入した鶏です。
では、いよいよさばいていきます。

まずは、とりをしめます。
首に刃物を入れ、体の中の血を出します。
なるべく苦しまないように、しっかりと狙いを定めて行います。
ここが一番私たちにとってはショッキングかもしれませんね。

絶命した鶏は、すぐに煮立ったお湯に入れます。

すると、簡単に羽が取れるようになります。
体中の羽をしっかりとむしり取っていきます。
羽の部分もスポッと簡単に取れてしまいます。
羽ペンで見られる羽のようでした。

とにかくむしり取っていきます。
お尻の周辺の羽が若干取りにくかったかな。

ほぼ羽をむしり取り終わると、このようになります。
鶏がほぼ見慣れた鶏肉になってきましたね。

場所をキッチンに移し、調理に入っていきます。

まずはお知りに部分に刃物を入れ、内臓を取り出します。
あとで食べる部分もあるため、捨ててしまってはいけません。

最後は腸がつながっているので、そこに刃物を入れます。

ぽっかりとおなかの中が空洞になりましたね。

では、皮をはいでいきます。
何か所か刃物を入れると、するするとむけていきます。

手羽の部分は少し皮がとりにくいので、工夫が必要です。
ここから各部位を切り分けていきます。

モモ肉や胸肉を切り分けていきます。

頭も切り落としました。
上の写真の下部は首の部分です。
ここは刃物を入れづらく、どのように切り分ければいいのかが難しい所でした。
この部分はせせりとして一般に販売されているのを見かけますが、どのようにここの肉を取り分けているのか、実際にやってみると疑問が生まれてきました。

大体切り分けることができました。
この日は、この肉をスパイスで煮込んでから焼いて、素材の味を生かした調理法で食べました。

内臓ももちろん食べることができます。
上の写真は腸をさばいて洗浄しているところです。
腸の内容物を押し出してから、はさみで開いて洗浄します。
レバーや、砂ずり、ハツなどもここで下ごしらえします。
特に砂ずりは、鶏が食べたものをすりつぶす臓器です。
そのため、木って開いてみると、鶏が食べたトウモロコシや虫?などがそのまま入っているので、なかなかにびっくりします。
こういうことも、実際にやってみないと、スーパーのパック詰め商品からではわからないことですよね。
いかがだったでしょうか。
なかなかにショッキングな写真を掲載しましたが、私達が食べているものは全てこのような過程を経て食卓に並んでいるわけです。
ショッキングだから、可愛そうだから、そういって目を背ける。
それは、見たくないものをただ見なければいいということだけではないでしょうか。
知ることによって、食べ物への感謝の気持ちが生まれる。
こういったことも、今の日本人には必要なことではないのかな?と思う今日この頃です。