743【人物あれこれ】ノーベル平和賞をも受賞したその活動、しかしそこには批判もあったのです『マザーテレサ』

人物あれこれ(Person)
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マザー・テレサという名前を聴けば誰もが頭に思い浮かぶのではないでしょうか。
貧困に苦しむ人。
家のない人。
体に障がいをもつ人。
大病を患った人。
社会から疎外されてしまった人。

そういった多くの人々に救いの手を差し伸べた人物であり、後につながるような組織や施設などを残した人物です。
世界的に知られるようになったのはノーベル平和賞を受賞したことや、インドやイギリスなどから数多くの賞を受けたことからかもしれません。

そんな世界的に評価されてきたマザー・テレサの活動でしたが多くの人々から評価されている反面、その活動に疑問を呈する人々もあったのでした。

今回は、そんなマザー・テレサがどのような生き方を通してこれほど多くの人々から知られる人物となっていったのか、調べていきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 半世紀近くにわたって、多くの苦しむ人々たちに手を差し伸べ続けてきたマザー・テレサとは、どのような人物だったのでしょうか。

マザーテレサ

マザー・テレサは20世紀にインドで活躍をした修道女であり、カトリック教会から聖人として今もなお称えられている人物です。
そんなマザー・テレサですが、これは本名ではなく、修道名であり、本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュといいます。
そんなマザー・テレサが生まれたのは、当時まだ存在していたオスマン帝国であり、その中の街ユスキュプでした。
この街は現在の北マケドニアの首都スコピエなのだそうです。
このことからわかるようにマザー・テレサはインド人ではなく、アルバニア人の母とルーマニア系の父から生まれました。

信仰心に篤かったマザー・テレサの一家は、貧しさから苦しんでいる人々に対して多くの施しを積極的に行っていた一家であったため、幼少のころからこのような環境にあったマザー・テレサには自然と修道女となって多くの人々を救いたいという気持ちが芽生えていたのでした。

18歳になるとアイルランドの修道女会に入ったマザー・テレサでしたが、そこで基礎的な教育をうけたのちに、修練女としてインドのダージリンに向かいます。
この時に自らが選んだ修道名がテレサでした。

カルカッタに移ったマザー・テレサは、聖マリア学院で教鞭をとり始めますが、後にその学校の校長にまで任命されるようになります。
当時のカルカッタというと、多くの貧しい人々があふれていました。
そんな様子をいつも目にしていたマザー・テレサは、そう行った人々を救いたいという自らの信念を貫くために修道院を出ます。
そして、カルカッタのスラム街へと居を移したマザー・テレサは、そこで教育を受けずにいた子どもたちに対して教育を行うようになります。
マザー・テレサの活動にはだんだんと賛同が集まるようになり、かつての教え子たちが集まったり、寄付なども寄せられるようになっていくようになります。

そうしてマザー・テレサは『神の愛の宣教者会』を設立します。
日々食べるものがなく飢えた人々。
切るものがなく裸で過ごす人々。
住むところのない人々。
障がいや年齢から体が自由に動かない人々。
病気を患った人々。
社会コミュニティから居場所を失った人々。
そういった人々のために同会を設立し、そのリーダーであることから「マザー」と呼ばれるようになります。
また、『死を待つ人々の家』というホスピスや児童養護施設などを次々と開設し、活動にあたっていきます。

マザー・テレサの活動はインド全土へと及ぶようになり、インド国外での活動も活発になっていくようになります。
そんなマザー・テレサの活動は世界的に評価されるようになっていき、数々の賞がマザー・テレサに与えられます。
その中でも誰もが知ることになるのは、1979年に受賞したノーベル平和賞でしょう。

精力的に活動をつづけたマザー・テレサでしたが、1980年代になると健康面での不安が出てきます。
心臓に疾患を抱えたマザー・テレサはペースメーカー埋め込みながらもまだまだ活動を続けていきますが、1997年に自らの活動の拠点でもあったインドのカルカッタで87年の生涯を閉じます。

マザー・テレサが無くなった後も、神の愛の宣教者会は4000人以上のメンバーを有し、123か国、610か所にも及ぶ場所で活動が行われており、現在もなおその活動は続けられております。

そんな世界的に評価されたマザー・テレサの活動でしたが、その反面批判や抗議といった声があったことも事実なのでした。
例えば、修道会の資金管理に関する運営実態についての批判や、末期の病人の人々にカトリックを行っていたこと。
慈善活動ではなく、キリスト教の伝道活動ではなかったのかということ。
死を待つ人々の家での医療ケアの方法に対する批判など、生前からも死語になってもなおその活動に対して批判があることは事実なのでした。

いかがだったでしょうか。
批判があるとしても、どのような形であれ、多くの人々の心を救ったことは歴史的な事実であることも確かです。
多くの人々の批判はあったとしても、救われた当事者の人々が事実救われていたのであれば、それは評価されるべきことであることでしょう。