764【人物あれこれ】お札に注目が集まる昨今だから、過去のこの人物についても調べてみよう『新渡戸稲造』

人物あれこれ(Person)
この記事は約4分で読めます。

2024年に日本では久しぶりのビッグイベントがあります。
それはお札の刷新ですね。
国家がお札を刷新するというのは意味があるのです。
新紙幣の発行を機にすべてのタンス預金をあらわにして、マイナンバーで管理しようという思惑もあるのでしょうが。
まあ、表向きは最新の技術を用いることで偽造防止効果を強化していくというのがいつも名目にはなっているのですが。
日本でもここ最近では20年を区切りとして、お札の刷新が行われています。

2024年は、40年ぶりに1万円札を含めて刷新が行われます。
一万円札:渋沢栄一
五千円札:津田梅子
千円札:北里柴三郎
ですね。

その前の2004年の刷新時は、1万円札は福沢諭吉のままでした(デザインと偽造防止の変更はありましたが)が、
五千円札:樋口一葉
千円札:野口英世
でしたね。

ではその前の1984年の刷新の時にはどうだったのでしょうか。
一万円札が聖徳太子から福沢諭吉へ。
五千円札が聖徳太子から新渡戸稲造へ。
千円札が伊藤博文から夏目漱石へ。
といった変更がありました。

ところでいつも思うのですが、こういった歴史的な人物が並ぶ中で、どうしても何をした人なのかがあまりピンとこない人がいます。
その人物とは新渡戸稲造です。
もちろん、多大なる功績があるのでしょうが、あまりこの人物がどういったことをしたのかは知らないのではないでしょうか。
調べてみれば、この人物がどういった人物だったのかが理解できるようになると思うので、早速調べてみることにしました。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 明治から昭和にかけて、国際的に多大な功績を残した新渡戸稲造について調べてみよう。

新渡戸稲造

新渡戸稲造とは、江戸末期に生まれ、明治・大正・昭和初期と、国際的な舞台で活躍した人物です。
国際連盟の事務次長出会ったことが同氏の最も大きな功績ではないでしょうか。
その他にも教育家であったり、農政学者であったり、『武士道』を著したりといったことで有名な人物です。

江戸末期の文久2年に岩手県の森岡に生まれた新渡戸稲造でしたが、幼くして西洋へのあこがれを強く持っており、早くから英語に触れているような子どもでした。
その勤勉さから親類から声がかかり、東京へ上京して東京大学の前身の一つである東京英語学校で英語を学ぶことになります。
その後は、農学を学ぶために現在の北海道大学である札幌農学校へ渡ります。
ここで新渡戸稲造は、ウィリアム・クラークが残していったキリスト教徒の学生たちの伝道によって、キリスト教に入信します。
それが新渡戸稲造の生き方に大きな影響を与え、それまでは学問に関しても暑く活動的な人物であった新渡戸稲造は、大きく変貌していったのでした。

札幌農学校卒業後は、一時期北海道庁で職に就きますが、その後現在の東京大学である帝国大学に入学します。
しかし、創立後間もなかった帝国大学の研究レベルの低さに対して先が見いだせなかった新渡戸稲造は退学し、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学に入学します。
アメリカに留学した新渡戸稲造は、留学先でキリスト教プロテスタント派の集会に通い始め、そこで伴侶であるメアリー・エルキントンと出会うことになります。

その後、母校であった札幌農学校の助教授に任命されることになり、ジョンズ・ホプキンス大学を退学した新渡戸稲造は、ドイツのハレ大学へと留学そして博士号をえます。
このころに代表する著書、『武士道』を英文で書き上げます。
新渡戸稲造はこの著書を通して、日本の道徳観の根底にある武士道について記した同氏の代表作となりました。

さらには台湾総督府の技師として台湾へと渡ることになります。
ここで新渡戸稲造は、台湾における糖業の発展に尽力することとなります。
この時の実績をもとに、京都帝国大学でも植民政策を講じることとなり、同大学より法学博士の学位も受けます。
東京帝国大学法科大学の教授として教鞭と取る傍ら、第一高等学校の校長にも就任します。
その後も数々の要職を歴任していきました。

そして、大正9年(1920年)の国際連盟設立の際に新渡戸稲造の名が挙がり、国際連盟事務次長の一人として選ばれることになりました。
7年間の事務次長経験の後、日本へと戻り現在の新渡戸文化短期大学である東京女子経済専門学校の初代校長へと就任。

しかし時代は、戦争に向けての歩みを進めていくことになる中で、新渡戸稲造はアメリカの反日感情を緩和するために尽力しようとしますが、時代も伴い、日本はその後戦争へと突き進んでいくこととなります。
そして1933年、かつて事務次長を務めた国際連盟を日本が脱退。
同年秋にカナダのビクトリアで帰らぬ人となったのでした。

いかがだったでしょうか。
非常に破天荒な人生ではありますが、そのスケールの大きさがすごいですよね。
五千円札の肖像画だったころは、その表情からは非常にまじめな人物だったのかという印象を受けていましたが、生き方を見てみると写真だけではそのあたりは伝わらないのだなということがよくわかるのではないでしょうか。
同氏の著書である『武士道』は、それまで謎のベールに包まれていた日本という国を理解するための一つの糸口になる書籍ということで、世界中で大ベストセラーになったほどのものなのです。
私たちは、こういった生き方からもまだまだ学ぶべきことはあるのでしょうね。