770【雑記】やはり、数多くの民族を一つに融合することは難しいのか・・・『ユーゴスラビア』

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ヨーロッパの東側というと、意外と小国が乱立しているので、どこに何があるのかはなかなかわからないなあ、となるかもしれません。
そんな東ヨーロッパの中でも1990年代から2000年代にかけて、どんどん独立解体していって、時には激しい内戦もが勃発していった国があったことは知っていますでしょうか。
その国の名をユーゴスラビアといいます。
かつて地球上に70年間存在し、現在はなくなってしまったこの国。
南スラヴ人を主体とした、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人による多様性のある国家なのでした。

しかし、多くの民族が一つの国家をつくる。
理想論ではありますが、その理想を実現することは非常に難しいことは容易に想像することができます。
実際、社会主義の大国であったソビエト連邦が崩壊する直前、ユーゴスラビアは次々と内包する国々が独立を果たしていきます。
ではこの、多様性を持ったうえで一つの国になろうとして消えていった、今では幻となってしまった国であるユーゴスラビアについて調べてみました。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 今は無き南スラヴ人の国家。多様性をもって一つになろうとしたユーゴスラビアとはどのような国だったのでしょうか。

ユーゴスラビア

ユーゴスラビアは南東ヨーロッパ、バルカン半島にかつて存在した国です。
ユーゴスラビアという名前が、
ユーゴ=南
スラビア=スラブ人

という意味をもち、合わせると南スラヴ人の国という意味をもった国名となります。
その名の通り、南スラヴ人の中でも、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人、ボシュニャク人などが連合してつくった国家がユーゴスラビアなのです。
第一次世界大戦後に、バルカン半島に存在していた、南スラヴ人諸国を1つの国家として設立することを目指して設けられた国なのでした。

ユーゴスラビアは、多様性を持った国々が一つの連邦国家として成り立っていた国家でした。
そんなユーゴスラビアを表す言葉があります。

一つの連邦国家
二つの文字(ラテン、キリル)
三つの宗教(東方正教会、キリスト教カトリック、イスラム教)
四つの言語(スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語)
五つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人+諸民族)
六つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)と2つの自治州
七つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア)

この理想を掲げて一つの国家として運営していこうとしていたユーゴスラビア。
・・・あらゆる面に、争いの火種になりそうなものが見え隠れしていますね。

そんなユーゴスラビアのもととなったのは、1918年に成立していたセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国でした。
その約10年後にユーゴスラビア王国に改名されます。
第二次世界大戦注意は、ナチス・ドイツを中心とした軍によって全土を掌握され、占領されることとなりますが、大戦の終了後にはユーゴスラビア連邦人民共和国として再スタートを切ります。

そんなユーゴスラビアですが、1963年にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国として、それまで独自の社会主義国家として進めてきていた国名へと変更をします。
社会主義国家であるためソビエト連邦の影響が大きいのかと思いきや、ユーゴスラビアは独自の路線で社会主義国家としての歩みを進めていくこととなります。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国大統領であったチトーの統治によって、奇跡的に太平の世を謳歌していたユーゴスラビア。
そんなユーゴスラビアもチトーを失ったことによって、それまで鳴りを潜めていた独立運動の機運が一気に表面化していきます。

しかし時代は、ソビエト連邦を中心とした社会主義国家の運営が立ち行かなくなっていきます。
ユーゴスラビア内でもそんな状況から、ユーゴスラビアを構成していた各構成国から独立の機運が高まっていくこととなります。
そして1991年には、ユーゴスラビアからまず最初にスロベニアとクロアチア、マケドニアが独立を宣言します。
もちろんそれは簡単なことではなく、セルビアを中心とするユーゴスラビア川と、スロベニア・クロアチア両国との間にユーゴスラビア紛争が勃発。
またその後、今度はボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争も勃発することとなります。

ユーゴスラビアにとどまっていた、セルビアとモンテネグロは、残った2か国で新たにユーゴスラビア連邦共和国の樹立を宣言します。
しかし今度は、セルビア共和国内のコソボ自治州から独立機運が高まり、コソボ紛争が勃発します。
それだけにとどまらず、今度はセルビアとモンテネグロ間においても不満が噴出するようになります。
一つの連邦国家であったユーゴスラビア連邦共和国は解体され、それぞれの国が共同で国家運営を行っていく意味合いから、国名がセルビア・モンテネグロと変わります。
そんなセルビア・モンテネグロも2006年に解体されることとなり、セルビアとモンテネグロの2国に分かれることとなります。

結果的にユーゴスラビアを構成していた国々は独立を果たし、現在6つの共和国として成立することとなったのです。
スロベニア
クロアチア
マケドニア
ボスニア・ヘルツェゴビナ
セルビア
モンテネグロ

の6か国です。
この中で、セルビア国内に自治州があるコソボなのですが、コソボ共和国として独立を果たしていますが、一部の国からは依然独立を承認されていないため、満場一致で将来的に独立国家となるかどうかについては依然不明なままとなっています。

また、近年の動きとしては、構成国の一つであったマケドニアが、2019年にその国名を北マケドニアへと変更しています。
これは、かつて古代マケドニア王国領地を有してたギリシャが、マケドニアという呼称について異議を申したてたためでした。

いかがだったでしょうか。
このように多種多様な地域が一つに融合することを、ユーゴスラビアに例えられることも多々あったりあします。
南スラヴ人という大きなくくりで一つの国家を目指したユーゴスラビアではありましたが、一つ一つの民族が融合していくことの難しさを実際に教訓と知って残してくれた国家だったのではないでしょうか。