あのヒトラーが現代にやってきた。
非常に問題のありそうなテーマではありますね。
世界はこのテーマには非常に敏感ではあったりするのですが、そのヒトラーを一見コメディのように扱ったこの作品。
あ、なんか面白そうかな?
と思ってみ始めた人が多いのではないかと思います。
実際、見始めたときは、現代に現れたヒトラーが、自分の時代とは違う様々なことに戸惑っている様子を面白おかしく表現しています。
しかし、全てを見終わった時、あなたはぞっとするかもしれません。
そうなのです。
この映画はただの面白おかしいコメディ映画ではないのです。
では、この映画は見る人に何を伝えようとしているのでしょうか。
衝撃の問題作である帰ってきたヒトラーについて今回は紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
映画に関する記事です。









映画『帰ってきたヒトラー』

帰ってきたヒトラー。
衝撃的なタイトルですが、あの第二次世界大戦の時代から本物のヒトラーがタイムスリップして現代に現れたら?
一つその取扱いを間違えると大変なことになりそうなテーマですが、このセンシティブなテーマをうまく映像化したのがこの映画なのです。
タイムスリップというSF的な要素を用いた作品であるため、まあフィクションだよねと思ってみ始める人がほとんどなのでしょう。
しかし、フィクションであったはずのこの映画。
実は現代であっても起こ得るということに対して警鐘を鳴らす、強いメッセージ性をもった映画なのです。
ある日、ヒトラーはドイツのとある公園で目を覚まします。
なぜここにいるのか?全く分からないままヒトラーは、新聞の日付から自分が2014年にいることを知ります。
自分は何もわからないのに、道行く人々は自分のことを知っている。
出会う人出会う人自分のことを知っている不思議。
そして、物語のキーとなるフリーディレクターであるザヴァツキと出会うことで、いつしかヒトラーの物まね芸人として、本物のヒトラーはその地位を現代で確立していきます。
もちろんそのヒトラーを本物とは思わない現代の人々。
その姿を面白おかしく人々は眺めます。
人心を掌握するヒトラーの喋りは健在であり、現代であってもヒトラーの話術は多くの視聴者を惹きつけます。
それもそのはず、ヒトラーは決してジョークを話しているのではないからです。
テレビの一タレントとして活躍を始めたヒトラーはあるとき、噛みついてきた犬を射殺してしまいます。
そのショッキングな映像が流れてしまったことで、ヒトラーはテレビの世界から一旦は去ります。
しかし、一度人々の心を掴んでしまったヒトラー。
今度は、自らが現代にやってきて体験した自伝を発行します。
これが大きな反響を呼び、映画化にまでなってしまいます。
しかし、その様子を見て第二次世界大戦当時を思い出す老婆は、当時と今とが全く同じ状況であることで気が動転してしまいます。
ヒトラーの姿かたちだけでなく、言うこと、やること、そんなヒトラーを見て面白がる周りの人間たち。
全てが、かつての戦中と同じ状況だというのです。
このときにザヴァツキはようやく、ヒトラーが本物のヒトラーではないかということに気付きます。
極めつけは、ネオナチにヒトラーが襲撃されることで、国民にとって英雄的な存在にまでなってしまうのです。
ザヴァツキはヒトラーが本物であることを伝えようとしますが、誰もそんなことは誰も信じてくれません。
誰もヒトラーを止めることができなくなってしまっていたのです。
そんなヒトラーの影響はどんどん大きくなっていき、信奉者はどんどん増えていきます。
そして、映画の最後にはかつて世界を恐怖に陥れたヒトラーの強烈なカリスマ性が現れてくるのです。
あの悲しい時代を知っている現代の人々は大丈夫!
・・・本当にそんなことが言い切れるのでしょうか?
現代にヒトラーほどのカリスマ性をもった人物が現れたとしたら・・・。
人々の心はこの映画のように簡単につかまれてしまうのではないでしょか?
そういった警鐘を我々に伝えているのがこの映画なのです。
いかがだったでしょうか。
最初は面白おかしい気持ちで見ていたこの映画。
見終わった時には、何とも言えないぞっとした気持ちにさせてくれます。
この映画の見方としては、ヒトラーだけに注目して見てみてください。
彼は、最初から最後まで一貫してふざけているわけではなく、真面目に自分の思う通りに動いていることがわかるでしょう。
それをどう味付けするかは、その姿を見せる映像を操る人々の手腕。
そんな見せるものの思惑次第で、人々の気持ちなどは簡単に操ることができてしまうのではないでしょうか」?
見終わった後に、様々なことを考えさせられる映画の一つなのです。