799【城ノウハウ】徳川家存続のため、江戸城に設けられた禁断の場所と仕組み『大奥』

百名城/続・百名城(Castle)
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多くの国々で存在していたり、現在もまだ存在している王族。
能力によって選ばられるわけではなく、血筋によってのみ維持される一族にとって、常につきまとってくるのが後継者の問題です。
その多くが男によって継がれていくことになるため、男子の子息が誕生するかどうかは、一族を維持できるかどうか非常に重要なポイントなのです。
そのため、王族の多くでは正室に加えて側室を持つことができる仕組みがあることがほとんどなのです。
そして日本でもかつて、近代までの長い間この側室を持つ仕組みが確立されていたのです。

日本の王族といえば皇族。
皇族でも長らく側室を持つ仕組みが存在していました。
一世一元がはじまった明治天皇は側室を5人持つなど、ここまでは皇族でも側室を持っていたのでした。
しかし、大正天皇以降は皇族は側室を持たなくなります。

一方で、日本の皇族と同じように、かつて存在した日本を支配していた血族があります。
それが、江戸幕府を開いた徳川の一族です。
徳川の一族は、長く安定して自分たちの一族が繁栄し続けるように、高確率で次の世代に受け継がれていくように様々な策が講じられました。
その中の一つが大奥だったのです。
映画化されたり、比喩として用いられたりと、現代でも一般的な言葉であるこの大奥ですが、実際にはどのようなものだったのでしょうか。
今回はこの江戸幕府の存続を支えた秘密の組織、大奥について調べてみました。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 江戸幕府を安定して次の代に引き継いでいくための大奥という仕組み。それはどのようなものだったのでしょうか。

大奥

大奥とは、かつて江戸時代に、徳川将軍家の子女や正妻。女中たちが暮らしていた場所ですが、ただたんなる場所の名称だけではなく、将軍家存続のための重要な役割を持った仕組みでもありました。

そんな大奥ですが、仕組みとして徳川家康の時代から存在したわけではありませんでした。
制度として定めたのが二代将軍の徳川秀忠の時代でした。
しかし徳川秀忠は正妻以外に側室を持たなかった将軍。
そのため、実質的に機能し始めたのは三代将軍の徳川家光の時代かもしれません。

江戸城には、儀礼や政務を行う『』と、日常生活の場である『』とがありました。
そんな生活の場である奥の中に設けられ、1000人超の女性だけが生活をする大奥は設けられました。
大奥は、女中として江戸城内で働く女性たちの居所という役割と共に、将軍の跡継ぎを生み育てるための仕組みでもありました。
男子禁制の場でもあった大奥。
そんな大奥に足を踏み入れることができる男性は将軍のみでした。
多くの女中が働くこの大奥の中で、将軍の目に留まり、ましてや男児をもうけることにでもなれば、その女中には人生大逆転のチャンスが訪れるわけなのです。

実際、将軍の正室である御台所には、定められた家系から迎えるのが慣例となっていましたが、側室の場合はそうではありません。
基本的には、大奥の中でも将軍や未台所の身辺を世話する御中﨟(おちゅうろう)と呼ばれる役職に就く女性の中から選ばれることとなっていました。
そして、将軍と夜を共にした御中﨟はお手つきと呼ばれるようになります。
さらに、懐妊して子供を出産することによってようやく正式な側室として認められるようになります
さらには、誕生した男児が将軍職に就くようなことになれば、側室であるにもかかわらず、正室をしのぐような権力を手にすることもあったのです。

そんな江戸幕府徳川家存続のための重要な仕組みであった大奥ではありますが、慶応4年の江戸城開城に伴って終焉を迎えます。
江戸幕府の終焉と共に、長く徳川将軍家をっ支え続けてきた大奥も、時代の流れには逆らえず、ひっそりとその役割を終えたのでした。

いかがだったでしょうか。
大奥に勤める人々には厳しいかん口令がしかれていたため、大奥が終焉を迎えるまでは、その内情については一般の人々の知るところではありませんでした。
しかし、時代が明治に入り、かつて大奥に勤めていた人々の口から少しずつその内情が語られるようになったことから、江戸城に存在していた大奥は、多くの人に知られることとなります。
現代では存在しえないこの仕組みですが、血筋を絶やさず、一族を存続させていくということによっては、長い歴史の中では必要な仕組みだったのかもしれません。

そんな秘密のベールに包まれていた場所だからこそ、様々な人々の憶測を生み、現在でも多くのドラマや映画などのテーマとしても取り扱われるようになっているのだと思います。
女性だけの場ということで、そこでは数々の権力をめぐるドラマが繰り広げられていたことでしょう。
表舞台の政治の場も非常に恐ろしい場ではありますが、奥舞台の大奥ではそれを凌ぐような場面が数多くあったことなのでしょう。