803【ニュースあれこれ】600年受け継がれる東南アジアのフュージョン料理とはいかなるものか!!?

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長い歴史と伝統を持つ料理。
世界に数ある料理の中にも、非常に長い歴史をもち、今日に至るまで受け継がれてきたものがたくさんあります。
しかし、世界が徐々に開拓されていくにしたがって、各地域の伝統的な料理には、多文化の影響も加わっていき、常に変化していっていることもあるのです。
そのようにして、伝統というものは形作られているのです。
日本料理もそうですよね。
日本のものだ!と思ってはいても、素材や調理方法など、かつては外の世界からやってきたものが、いつの間にか日本料理に取り入れられ、伝統の一部分として今日に至っているものもあるのです。

そして、そのように歴史的に形作られてきた料理は、世界にはまだまだあるのです。
東南アジア、マレー半島に伝わるプラナカン料理もこの地域を代表する料理ではあるものの、そのルーツをたどっていくと多くの文化にルーツをもつことがわかってくるでしょう。
今回は、そんな多文化が融合して形作られてきたプラナカン料理についての記事があったので紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 600年の歴史をもつ、多文化にルーツを持つプラナカン料理とは、どのような料理なのでしょうか。

多文化の影響を受け、600年間受け継がれてきたプラナカン料理

東南アジア、マラッカ海峡に面するマレー半島には多くの文化にルーツを持つ伝統的な料理があります。
それはプラナカン料理といいます。
プラナカンとは、15世紀後半ごろにマレーシアやシンガポールのある場所にやってきた中国系移民の子孫のことを言います。
このプラナカンが、中国から持ち込んだ文化とマレーの文化、そして後に進出してきたヨーロッパの文化とが融合し、独自の生活スタイルを確立してきました。
そんなプラナカンの人々によって形作られてきた、600年の歴史をもつのがプラナカン料理なのです。

そんなプラナカン料理ですが、その多くのレシピは時間がかかります。
一皿準備するために数日かかるようなものもあったりします。
マレーの地域で採取することができる素材を、根気強くした処理したり、調理したりしながら仕上げていくのです。
そのため、プラナカン料理には忍耐力が必要なのです。

そして、プラナカン料理は、祖母から母へ。母から子へと家族に伝わる秘密のレシピを次の世代に伝えているのです。
そんな思い出深い受け継がれてきた料理は、台所に立って料理をするたびにかつて共に過ごした思い出がよみがえるのだそうです。

プラナカン料理は、地元でとることができる様々な種類のハーブやスパイスがたくさん使われています。
色鮮やかで、複雑な風味を持つプラナカン料理は、長い時間じっくりコトコトと煮込まれているため、素材のうまみや風味がしっかりと料理全体に馴染み、ご飯や麺、パンなどと食べるとぴったりな料理なのです。

プラナカン料理には、デザートもあります。
プラナカン料理のデザートの特徴は色鮮やかであること。
これも様々なハーブや香辛料などを使って作られています。
これほどの鮮やかな色であるにもかかわらず、その着色に使われているのは自然由来なものが使われているのです。
例えば、プラナカン料理で見られる色鮮やかな緑色のデザート。
これは、パンダンの葉が用いられており、色鮮やかにするだけではなく、独特の味わいのあるデザートになるのです。

プラナカン料理の過去から未来へ

プラナカン料理は、15世紀に生まれたとされています。
マレーシアやシンガポール、インドネシアに広がるプラナカン料理ですが、この料理は、マレーの味に中国、ヨーロッパ、インドの影響が加わり、東南アジアの中でも様々な文化の影響を受け発展してきた、最初のフュージョン料理の1つだといわれています。

かつて大航海時代。
海上交易の重要な拠点として栄えたマレー半島には、南インドや中国、ヨーロッパなどから多くの独身男性が富を求めたやってきていました。
その中には、マレー半島にあるマラッカやペナン、シンガポールなどの大きな港をもつ場所に定住し、地元の女性と家庭をもち始めます。
それらの家庭では、女性は家の仕事を担当していました。
すると毎日の食事にも、マレーの母親から学んだ料理に、他の文化から入ってきた料理のスタイルが自然と入っていくようになるのです。
さらには貿易を通じて様々な章句材が入ってくるようになり、自然とそれらも用いられるようになります。

南インドからは、コリアンダーやクミン等のスパイスが持ち込まれました。
マラッカを占領したポルトガル人は唐辛子をこの地に持ち込みました。
そして、近くにあった大国の中国からは、中華料理でもちいられる素材や調味料、調理方法が伝わってきます。

そうやって形作られてきたプラナカン料理は、世界大恐慌と第二次世界大戦が起こる前の19世紀後半から20世紀初頭にその完成をみます。
後にイギリスによって植民地化されたこの地にといて、プラナカンは様々な地域からの移民たちの懸け橋となりました。
他の文化に対して寛容であったプラナカンは、柔軟に他の文化を取り入れ、この地で主要なポジションに就いて富を蓄えていきました。

そして、エリートとなったプラナカンの家族は使用人を雇い、余暇があればとの旅に妻と使用人たちが台所で新たな料理を試していったのでした。
革新性と富、開放性の組み合わせが、今に伝わる素晴らしいフュージョン料理へとつながっていったのです。
女性たちは、先の第二次世界大戦が終わった後も、プラナカン料理を受け継いできました。
それはお気に入りの料理を味わえなくなるのではないかという心配から。
そして家族に伝えられてきたプラナカン料理は、プラナカンの人々が開いた料理教室や、プラナカンの人々によって造られた料理本などによって、さらに広がりを見せるようになります。

女性にとって料理とは美味しさだけではなく、料理は人生を形作るものなのです。
そんなプラナカン料理は、絶えず進化し続けてきています。
現代のぷらなかんにとっては、レストランで食べても家庭で食べても、受け継がれ続けてきたプラナカン料理のおいしいレシピは、豊かで複雑な伝統文化と、家族とのつながりをいつでも思い起こさせてくれるのです。

いかがだったでしょうか。
数々の民族やその文化が訪れたマレーの地だからこそ生まれたプラナカン料理。
様々な影響を受けたプラナカン料理からは、世界の様々な地域の面影が見えることでしょう。
日本で言うとおふくろの味。
せかいのどこにでも存在するのですね。

Southeast Asia's 600-year-old fusion cuisine
Six hundred years ago, women created Peranakan cooking – a Southeast Asian cuisine with multicultural roots – and have been shaping it ever since.