807【鳥取紀行】かつて、とんでもない状況だった城。調べてみるとその悲惨さが・・・『鳥取城』

中国地方(Chugoku)
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かなり久々ですが、今回は日本百名城の1つを紹介していきます。
今回紹介するのは山陰地方の名城である鳥取城です。
広大な曲輪を組み合わせて造られている鳥取城跡は山麓にある城跡と、山上にある城跡とがあり、その他にも敷地内にある仁風閣や、独特の半円球状に作られた巻石垣のある天球丸久松山山頂にある複合天守跡など、その広大な縄張りに驚かされることでしょう。

しかし、そのような立派な城跡であるにもかかわらず、鳥取城について調べてみると、何か心霊スポットであるかのような検索結果がたくさん出てくることがわかることでしょう。
なぜそのような結果がたくさん連なるのかというと、ここは豊臣秀吉によって攻め込まれたときに、凄惨な兵糧攻めの舞台にあったからなのです。
飢餓が蔓延した状態の城内の様子は、言い表すことができないほどになっていたのだそうです。

今回はこのような山麓に広がる広大な城の鳥取城について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 驚くほどの広大な敷地に残る参院の名城、鳥取城。立派な石垣の残る鳥取の堅城を見に行ってみよう。

鳥取県に関する記事です。

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鳥取城

鳥取城は鳥取県鳥取市にある、久松山に築かれた平山城と山城とが融合した城跡です。
築城は因幡の守護であった山名氏によって、1545年頃に築城された、500年ほどの歴史のある城跡です。
城自体は、山の麓に広がる山下ノ丸と、山上に広がる山上ノ丸とに分かれており、天守は山上に設けられていました。
その後、天守は消失してしまったので、長らくは山下ノ丸にあった三階櫓が天守の代わりの役割を担っていました。

この鳥取城の名を知らしめることになったのは、この城の偉大さからではなく、かの豊臣秀吉が1581年にこの鳥取城を攻めたときに兵糧攻めによって徹底的に追い詰めたことでした。
このできごとは『鳥取の渇(かつ)え殺し』と呼ばれています。
当時の城主であった山名豊国の時代に、織田信長の命によって豊臣秀吉の侵攻を受けた鳥取城ではありましたが、山名氏はこれに対して降伏を受け入れます。
しかし、降伏に反対する家老たちは豊国を追放して、代わりに毛利氏に仕える吉川春元から派遣された吉川経家が入ることとなり、徹底した抗戦を繰り広げるようになります。
これに対して豊臣秀吉は2万もの軍を率いて、鳥取城の周囲約20kmにわたって土塁や堀、柵などで囲ってしまい、人ひとりもそこから脱出できないようにしてしまいます。
そして、毛利輝元から送られてくる兵糧などの補給路を完全に封鎖してしまい、米粒一粒すら搬入できない状態になってしまいます。

籠城戦は約3か月続きますが、城内は食料が尽き、凄惨な状態となります。
兵糧攻めをされた城内では兵や、一緒に閉じ込められた農民などが飢餓に苦しみ、挙句には餓死した塀の人肉までもが食べられるというようなありさまだったのだそうです。
最終的に経家は城内の人々を守るために秀吉に対して降伏し、自刃することでこの籠城戦を終わらせました。
城中の広間において見事に自刃をし、35歳の生涯を終えた経家の見事な最期は、武人の鑑として高く評価されているのだそうです。

攻め落とされた鳥取城ではありましたが、その後宮部氏や池田氏といった城主が入ります。
城域は整備拡張が行われ、現在みられるような立派な曲輪が残されています。
特に池田長吉の時代に、現在残るような立派な石垣が整備されました。

アクセス

鳥取県鳥取市東町1にあります。

鳥取城へ行ってみた

それでは鳥取城へ行ってみましょう。

鳥取城跡に近づいていくと、この久松山が見えてきます。
鳥取城はこの山上にある山上ノ丸と、山麓に広がる山下ノ丸からなっています。

内堀の外側には、鳥取城の城主であった吉川経家の像が建っていました。

像からは、堀にかかる擬宝珠橋が見えます。


こちらが擬宝珠橋です。

奥にはきれいに再建された中ノ御門があります。
それでは城内に入っていきましょう。

城内の案内図です。

現在の敷地内、三ノ丸跡・丸ノ内跡には、鳥取西高校の校舎が設けられています。
高校の敷地内にも、数々の施設跡が残されているようです。

城内の扇御殿跡には、仁風閣という建物が残ります。
ここは明治40年に、のちの大正天皇の山陰行啓のためにこの場所に建てられた建造物です。

ここは、映画るろうに剣心で撮影に用いられた場所なのだそうで、館内にはその展示もたくさん残されていました。

扇御殿跡から二ノ丸跡に向かう階段を上っていきます。

鳥取城内は、現在かなり修繕が行われているようでした。

高校を見下ろすところには、太鼓御門跡があります。

二の丸のさらに上にある天球丸跡に向かいます。

天球丸の下部には、当時の古い石垣が残ります。

高校の校舎の屋根と同じ高さあたりになります。

巻石垣にやってきました。
ここは、かなり珍しい半球型の石垣なのですが、内部から膨れ上がり崩れてきた石垣を補修するために、このような形の巻石垣という形になっているのだそうです。

ここからは巻石垣の上にある天球丸跡に上がります。

二ノ丸へとつながる表御門跡です。
一旦二ノ丸跡へと移動します。

その横には菱櫓跡があります。

遠くに天球丸が見えますね。
これからあそこに向かっていきます。

二ノ丸跡にある中坂稲荷鳥居です。
この鳥居をくぐって、右に登っていくと天球丸にたどり着きます。

かなり上に向かって登っていきます。

天球丸に到着しました。

ちなみにここまで登ってくる道をさらに登っていくと山上ノ丸へと行くことができますが、標高263mの山を登ることになるので、この時は断念。
なお、鳥取城を取り巻くいわくの数々は、山上ノ丸にあるのです。ガクブルブル・・・


天球丸の上から見た巻石垣です。

天球丸には、いろいろな時代の建物跡が残っています。

再び二ノ丸跡に戻ってきました。
その角には、鳥取城の天守亡きあと、天守の代わりに用いられていた三階櫓跡です。
明治12年まではここに残されていましたが、解体撤去されました。

三階櫓跡に登ってきました。

ここから見下ろす仁風閣もなかなかの見ものです。

ここは裏御門跡です。
仁風閣のあるエリアに降りることができます。

敷地の端の方には階段のような登石垣がありました。
かつてはここから山上ノ丸に向かって登っていくことができたのでしょうか。

二ノ丸跡は、三階櫓の石垣をはじめ、かなり立派なものが多くあります。
しかし、1943年の鳥取大地震ではかなりの部分が崩壊したのだそうです。

門が残るこちらは、西坂下御門です。
唯一城内の門の中で現存するこの門ではありますが、こちらも1975年に台風で倒壊してしまった後に建て直されたものとなっています。

いかがだったでしょうか。
これほど広大な城跡が山陰地方に残されているというのが驚きでした。
国内でもここでしか見ることができない見どころが盛りだくさんの鳥取城。
鳥取は砂丘だけじゃないぞ!という意気込みを感じる鳥取の名所なのです。