851【雑記】こんな言語もある。タイ王室にだけ伝わる言語である『ラチャサップ語』

雑記
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世界に数ある言語の中でも、この言語はかなり特別なのではないでしょうか。
言語というのは文化。
どこから文化がやってきて、その地でどのように華開き、現在にまで引き継がれてきたのか。
その国や地域がたどってきた経緯が言語から見えてくることもあるのです。

今回調べてみた言語はラチャサップ語といいます。.
どこの国の言葉??
となってしまうかもしれませんが、現在この言葉を理解できる人の数というのはほとんどいません。
というか、これまでもこの言語を話せる人々というのはほとんどいないまま現在に至っています。

では、いったいその言語とはどういった言語なのか??
今回はこの謎の言語について調べてみることにしました。

(※ラチャサップ語学習の内容ではありませんのでスワヒリ語について勉強を始めるきっかけ程度の意識で読んでいただければと思います。)

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 話せる人はごくわずか。しかし、700年を超える歴史をもつ言語を調べてみよう。

ラチャサップ語

ラチャサップ語は言語の一つです。
その歴史は700年以上あるといわれ、言語としてかなりの歴史をもつ言葉です。
ではこの言葉が使われているのはどこの国なのか。
それは、タイなのです。

タイ??
タイ語があるのでは??
確かにそうです。
タイにはタイ語があります。

では、タイで話されているラチャサップ語とは何なのか。
それは、ある特定の場所、場面、人々の間だけで使われる独特な言語なのです。
ラチャサップ語とは、なんとタイの王族だけで使われていた言葉なのです。
王に話しかけるとき、王族について話すときだけに使用される言葉であり、ラチャサップだけの特別な語彙、特別な文法として構成される言葉で、宮廷での決まり事としてラチャサップ語が用いられることが求められます。
現在でもなおその言語は受け継がれており、タイの王をはじめ王族がメディアを通して国民に対して話しかける時にも使われているということらしいので、一般の人々も簡単なラチャサップ語は理解ができるのだそうです。
しかし、それを正しく話せる人はほぼいないのだそうです。
タイの王といえばタイ全土で愛され、尊敬される人物。(当代王は微妙だという話も聞いたのですが、先代はとてつもなく国民から敬愛されていたとのこと。)
その王が、ほぼ毎日のようにテレビやら時をのメディアを通して、王自身やその家族のことに言及するときにはこのラチャサップ語が使われているのです。

みんながなんとなく理解できているけれど、ほとんどの人がその言葉自体を使いこなすことができない。
なんとも不思議な感じのする言葉ですよね。
しかし、そんな言語が現在にもまだ存在し続けているのです。

そんなタイの人々にとって特別な言語であるラチャサップ語ですが、その由来は隣国カンボジア語に由来しており、仏教の伝来とともにやってきていることから、サンスクリット語とパーリ語といった仏教言語から多くがやってきています。
そして長らく、大衆の言葉であるタイ語と共にあり続けた言語でした。
国王に話しかけ、国王から呼びかけるためにできた特別な言語。
たった一人の人物のためだけにこういった言語ができたというところに、タイでの国王の地位の重要さが見えてくるのではないでしょうか。
そんなラチャサップ語は700年を超す歴史をもつ言語。
700年もの間受け継がれてきた言語なのであれば、その間に様々な変化があるのが言語の常。
日本語でも実際そうですよね。
しかし、ラチャサップ語は700年の歴史の中にあっても、大きな変化がない言語であるといわれています。

その一方で大衆の言葉として発展してきたタイ語。
タイ語の方はというと、時代に合わせて数々の変化をしてきた言語のなのです。
そのため、古代のタイ語はどうだったのかというと、現在の言葉からはなかなかわかりづらいかもしれません。
しかし、そんなタイ語とともにあったラチャサップ語には、かつてのタイ語にあった文法や用法を今に伝える部分もあったりするのです。
まるで生きた化石のような言語ですよね。

いかがだったでしょうか。
世界に数多ある言語の中で、その言語を使う人が少ない言語ということで調べてみると、必ずと言っていいほどヒットするラチャサップ語。
しかし、メインの言語として利用する人々がいないにしても、タイの人々のほとんどがそれをなんとなく理解できるという点であれば、かなりの多くの人の身近にある言語なのでしょうね。
なかなか言語に関してこういった伝統というのは珍しいことではないかと思います。
今もなお受け継がれているラチャサップ語。
タイの王族が健在である限りは、この言語も未来永劫受け継がれていくことになるのでしょう。
言語には文化や歴史が見えてくる。
まさしく、この言葉の通りの言語なのではないかと思います。