今回は京都の南にあるとあるダムについてです。
京都でも広大なお茶の産地の京都府南山城村。
素朴なお茶畑と、シイタケで有名なこの村には、1968年に巨大なダムが建設されました。
そのダムは高山ダムといいます。
この高山ダムがあるところは名張川と言います。
この名張川は木津川へと流れ込み、最終的に淀川につながる川です。
つまり、きんっき地方の大動脈である淀川につながる川であることから、関西の政治経済活動にも大きな影響を与えている河川でありダムなのです。
建造されてからすでに50年を超える歴史をもつダムですが、周囲には自然が豊富であり、自然歩道が整備されているほど、地域の人々から愛されている場所になっています。
その歩道は倒壊し全ルートの一部分となっており、西は大阪の箕面から、東は関東の高尾まで、全長で約1700kmもある長い距離の自然歩道となっています。
そんなもはやその地域では自然と一体となった巨大なダム、高山ダムについて今回は紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
京都に関する記事です。










高山ダム
高山ダムは、京都部の実や三山城村にあるダムです。
全国的にも珍しいとされるアーチ重力式コンクリートダムであり、昭和43年(1968)に建造された、淀川につながる淀川水系の初めてのダムとして完成されたダムでした。
もともとこの水系は歴史的にも長く反乱を繰り返してきた河川でした。
そのため、明治以降になってくると様々な治水事業が行われるようになりました。
ところがそんな中、昭和28年(1953)に襲いかかった台風13号によって、それまでの治水事業のすべてを無に帰すかの如く、大きな被害がありました。
日本が敗戦し、これ以降の日本経済を立て直していくためには、この淀川水系の治水工事が必要不可欠なものでした。
そこで、昭和37年(1962)に基本計画が策定され、計画が進められていくこととなります。
ところが、高山ダムが完成することによってその位置から、京都・奈良・三重の約200世帯が水に沈んでしまうこと。
また、国の名勝でもあった月ケ瀬梅林の一部が水に沈んでしまうこともあったため、その計画の遂行は非常に難航したのだそうです。
しかし、そういった様々な困難を一つ一つ克服していったことによって、実に予備調査時代から17年もの時間をかけて、高山ダムは完成しました。
高山ダムは当初は住職式コンクリートダムとして計画されていたものの、建設予定地の岩盤が剣子だったことからアーチ式のダムを建設できることがわかり、最終的にはアーチ重力式コンクリートダムとして建造されました。
高山ダムの完成によって、地域の洪水の防止だけでなく様々な影響を周辺地域にもたらしています。
例えば、かんがい用水として木津川沿岸の農地に用水を補給しています。
また、都市用水の補給と供給、さらには都市用水として大阪府の枚方市・守口市・大阪市、さらに兵庫県の神戸市や西宮市、尼崎市などの阪神地区に多くの上水道を提供しています。
さらには、発電も行っており、最大で6000kWの発電を行うことができる供給能力をもっています。
周辺は桜やつつじが咲き乱れる場所となっており、ハイキングや釣りを目的に多くの観光客が訪れる場所となっています。
近隣8kmほど南に行ったところには月ケ瀬梅林という梅咲き乱れる有名な観光地があります。
また、またすぐそばには夢絃峡(むげんきょう)という伊賀川と名張川が合流し木津川の源となる場所があります。
ここには、許されない愛を誓って恋人たちが谷に身を投げた悲しい物語が伝えられている場所となっています。
また、弓が渕や明神の滝には、剣豪であった柳生十兵衛の伝説が残る地ともなっています。
アクセス
徒歩の場合、最寄り駅であるJR関西本線の月ヶ瀬口駅から約45分で到着します。
高山ダムへ行ってみた
それでは、高山ダムへ行ってみましょう。

高山ダムにやってきました。
高山ダムとその周辺にある数々の自然の見どころがあるようです。

そしてこちらが高山ダムです。

放流の様子がなかなかの迫力です。

それではダムの上に行ってみましょう。


ダム上にやってきました。
上の写真の右側が名張川・木津川へとつながります。
また、左側がダム湖である月ケ瀬湖です。


反対側まで歩いてきました。



高山ダム周辺を含む、東海自然歩道についての案内がありました。

なお、高山ダムのダムカードは、平日のみ高山ダム管理所にて配布されています。

いかがだったでしょうか。
周辺に観光地が多いこともあり、高山ダム自体も非常に見やすいダムでした。
高山ダム以外にも、淀川水系木津川には多くのダムががあります。
西日本経済を支える重要な拠点であるこれら一体のダム巡りも面白そうではありませんか。