北海道といえばこのイメージがあるのではないでしょうか。
北海道とキリスト教。
特にそのイメージがあるのは、キリスト教的教育が進められた札幌農学校(現北海道大学)。
そして、函館の中でも教会が立ち並ぶ坂の町元町。
こういったイメージが、北海道に何となくキリスト教徒結びつきが深い雰囲気を感じさせます。
実際、北海道が開拓されてまだ100数十年。
未知の地であり、北海道という肉体的にも精神的にも厳しい土地を開拓しに行く人々にとって、心のよりどころは大切なことだった思います。
そういったこともあって、北海道にもキリスト教にまつわる建物が数々残されています。
今回はそんなキリスト教の教会の中でも、根室にある根室キリスト教会について書いていきたいと思います。
が、実際に中に入ったわけではなく、その外観を見たときにかなり歴史を感じさせる建物だなあ、とフィーリングを感じたのが実際であり、なかなかここについての資料は少なかったりするのではありますが、印象に残った建物の写真と共に紹介をしていきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
これまでの道東の記事です。


















根室キリスト教会
明治維新以降に、北海道の地は国策によって大規模な開拓が行われることとなりました。
これだけ広大な地を開拓するためには、それだけたくさんの開拓を担う人々が必要なわけです。
そこで、日本各地から北海道開拓のために多くの人々が北海道に移り住みました。
移り住んだ先には、まだまだ開拓されていない楽園が・・・、などというのは甘い世界。
過酷な気候。
襲い掛かる自然災害。
油断することはできない北海道の生き物。
慣れ親しんだ地や人々との別れ。
様々な理由をもって北海道に移り住んだ人々ではありましたが、その開拓への精神をあっという間に崩してしまうような条件が北海道には数多く待ち構えてきたのです。
そんな人々には精神的な支えが必要でした。
そこで北海道の開拓、そして発展にはキリスト教の影響が少なからずあります。
札幌農学校(現在の北海道大学)では、キリスト教的な道徳教育をもとにした教育が行われ、キリスト教とは切っても切れない関係だったようです。
また、早くから海外に向けて開港された港町である函館には、元町という美しい街並みがあります。
そこには、キリスト教の教会が立ち並び、異国情緒を感じさせる町並みが残されているのです。
そんな北海道にやってきていたキリスト教ですが、道東である根室の地にもやってきていたのでした。
根室キリスト教会は、根室市内中心部に立つキリスト教の教会です。
独特な存在感を持つこのキリスト教教会は、なんと建てられたのが明治19年(1886)であり、なんと140年近い歴史をもつ教会なのです。
この教会はキリスト教でも、プロテスタント教会であり、日本バブテスト同盟の教会となっています。
この根室にて教会の基礎を築いていったのはライス氏という人物です。
元々は主人であるC.H.カーペンター氏がこの地で布教活動を始め、夫婦そろてアイヌの人々に対してキリスト教の教えを伝えるためこの地にやってきました。二人はアイヌの人々に対してキリスト教の教えを伝えるため来日しましたが、来日からわずか後にC.H.直後に亡くなってしまったことで、その妻であるライス氏が根室の地でキリスト教を広めていったのでした。
ライス氏はヤソ(耶蘇=キリスト教およびキリスト教徒)のおばさんとして、その後20年の間、地元の人々からも非常に親しまれていたのだそうです。
建造後まもなく根室の市街地大火にも巻き込まれたこともある根室キリスト教会。
なかなかその歴史のすべてはわからないですが、100年以上もこの根室の町を見守り続けてきたのです。
アクセス
根室駅から北に1.2kmほどの場所にあります。
根室キリスト教会へ行ってみた
それでは、根室キリスト教会へ行ってみましょう。

街中に突然、洋風の建物が現れました。
看板を見てみると、日本バブテスト同盟 根室キリスト教会、とあります。
かなり目を惹く建物なので、見落とすことはそうないかなと思います。

そしてこちらがその建物です。
うっそうと生い茂る草木の中に立つこの教会は、周りの建物と比べても独特の、神聖な雰囲気を醸し出しています。

教会の入り口には沿革が書かれていました。
いかがだったでしょうか。
根室の町は賑やかな町というわけではありません。
この教会のある地域も、かつてはもっとにぎわっていた港町だったのかなあという雰囲気でしたが、現在訪れたときには非常にひっそりとした街並みでした。
長い歴史の中でこの根室も移り変わってきたことでしょうが、その姿を長らく見続けてきたのもこの根室キリスト教会なのです。
根室の町はこのような歴史的な建物や、史跡、碑などが町のあらゆるところにぽつぽつとあるので、そういったものを探して歩き回るのも楽しい町でした。