897【北海道紀行】ヲンネモトチャシと共に、きちんと整備されたチャシ跡『ノツカマフ1・2号チャシ跡』

百名城/続・百名城(Castle)
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今回は、北海道の道東 根室にある日本百名城の登録No001の城跡、『根室半島チャシ跡群』の1つについて紹介していきます。
根室半島チャシ跡群は、全部で24か所のチャシ跡がセットになって登録されています。
当ブログでも別の記事にてヲンネモトチャシ跡を紹介しましたが、今回はノツカマフ1・2号チャシ跡について紹介していきたいと思います。

ヲンネモトチャシ跡は非常に整備状況がよく、納沙布岬からも近いことから、観光に訪れる人が多い所ですが、それに次いで整備が進んでおり見やすくなっているのがノツカマフ1・2号チャシ跡です。
ノツカマフ1号チャシ跡とノツカマフ2号チャシ跡とが並んだ形になっており、一緒に2つの場所を見て回ることができます。
全てのチャシを見て回ることができな根室半島チャシ跡群にあっては、ヲンネモトチャシ跡と共にこのノツカマフ1・2号チャシ跡は欠かすことのできない見どころのチャシ跡でしょう。

今回はこの、北海道にいたアイヌの人々の砦跡であるチャシの一つ、ノツカマフ1・2号チャシ跡について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 海に突き出た岬の上に、堀の後がよくわかるノツカマフ1・2号チャシ跡を見に行ってみよう。

これまでの道東の記事です。

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ノツカマフ1・2号チャシ跡

チャシとは、北海道のアイヌの人々の砦だった場所です。
アイヌ語では策が濃いと意味している言葉です。
そこは、砦としての利用だけではなく、見張りの場や、祭祀を行う聖地、談判の場として等、かつては様々な用途で使われていたのではないかと考えられています。
北海道全土で数百みつかっているチャシ跡ですが、その中でも道東の根室半島にはかなり多くのチャシが集まっています。
確認されているだけでも根室市内に32か所のチャシ跡が現存しており、それらのほとんどは16~18世紀に造られたものです。
その中の24か所が根室半島チャシ跡群として日本百名城に登録されています。

数あるチャシ跡の中でも、納沙布岬から西に12kmほどの一いあるのがノツカマフ1・2号チャシ跡です。
2つのチャシ跡がすぐそばに残されており、どちらも海に面した崖の上に造られた半円状のチャシ跡となっています。

このノツカマフ1・2号チャシ跡がある場所ですが、不思議な名前をしていますが。ノツカマフという言葉が岬の上という意味があります。
そして、長くアイヌの人々にとっては根室半島の中でも中心的な場所でした。
ところが、北海道に和人が進出してこの地のアイヌの人々を治めるようになると、この地にいた人々に対して過酷な労働などを課していくようになります。
このような支配的な構造に対して反感をもったアイヌの人々は、和人を殺害するクナシリ・メナシの戦いをおこします。
松前藩によって鎮圧されたクナシリ・メナシの戦いですが、戦いの後に、かかわったとされるアイヌの人々も処刑されています。
この事件以降、根室半島の中心だったノツカマフから、現在の根室港周辺へと中心が移ることとなります。

そういった歴史的な事件の際にもかかわりがあったと考えられるノツカマフ1・2号チャシ跡。
ノツカマップ湾を臨む2つのチャシ跡は次のような特徴があります。
ノツカマフ1号チャシ跡は、半円型の盛土が2つ連なった形となっており、周囲を幅約5m、深さ2~3mの壕が囲う形となっています。
盛土の中心部は平坦となっており、様々な用途で使われていたのではないかと考えられています。

一方でノツカマフ2号チャシ跡は1つの半円型の盛土を幅2~3m、深さ50cm程度の壕で囲われたものとなっており、1号チャシ跡と比べると非常に浅い壕となっています。
そのため、もしかすると建造途中で未完成なチャシ跡ではないかとも考えられているのだそうです。

アクセス

納沙布岬から西に12kmほどの場所にあります。

ノツカマフ1・2号チャシ跡に行ってみた

それでは、ノツカマフ1・2号チャシ跡へ行ってみましょう。

ノツカマフ1・2号チャシ跡は、道路沿いの駐車スペースから、さらにうっそうと生い茂ったなかを200mほど進んでいく必要があります。
夏場はこのように草が生い茂っており、道もかなり細くなっているため、草の中に踏み入らなければならない箇所がかなりあります。
靴もかなりドロドロになるため、事前にそのことを知っておいて準備しておく必要があると思います。

かなりうっそうとしたところを進んでいきます。
熊も出没する可能性があるそうなので、かなりの注意が必要です。

直線距離では200mほどですが、足元が非常に悪いのでかなり長く感じます。

この辺りはまだ歩きやすくなっていますが、

この辺りにまで来るとどこが道なのか、かろうじてでしか分からなくなってきます。
足元がかなり悪いので、スニーカーがドロドロになります。

ようやく看板が見えてきました。
左に行くとノツカマフ2号チャシ跡。
右に行くとノツカマフ1号チャシ跡に到着します。

まずはノツカマフ2号チャシ跡に行きます。

2号チャシ跡は、壕も浅く、未完成なのではと思われていることもあってか、草が生い茂っている次期であればどこにあるのかがわかりにくいかもしれません。

このあたりが盛土の登頂部の平坦な場所だと思われます。

崖はそれなりの高さがあるため足がすくみます。

おそらくノツカマフ1号チャシ跡ではないかと思われる場所が見えます。

見晴らしはよいため、天候が良ければ北方領土も見えます。
海側を監視する場所としてはなかなか良い場所です。

続いてはノツカマフ1号チャシ跡に行きます。

こちらは壕が深いこともあって、その造りが2号チャシ跡に比べるとわかりやすくなっています。

壕に囲まれて平坦部がわかりますね。

こちらもなかなかの高さです。

壕の一部に、チャシ間を行き来するための土橋らしきものも見られます。

1号チャシ跡は2つの半円が連なっており、隣接する半円を見てみるとこれぐらいの距離感です。

いかがだったでしょうか。
かなりの草木の影響で思ったよりも壕の様子などはわかりにくいですが、Google mapの航空写真からであれば、その形がかなりわかりやすく見ることができるようになっています。
なかなか気軽に訪れることができる場所ではありませんが、北海道に暮らした人々の文化を感じる場所の一つでした。