904【城ノウハウ】立派な土台はあるものの、その上には築かれなかった天守『天守台しか築かれなかった城』

百名城/続・百名城(Castle)
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日本のお城の代名詞である天守
なんといっても、これがなければねえ、と言っても言い過ぎではないほどお城のシンボル的なものです。
攻防のための設備という立ち位置でもありますが、その地を治める人物の権力を誇示するためのたてものという立ち位置でもありますよね。
そのために、多くの城には天守が設けられました。

その天守を設ける場所のことを天守台といい、石垣で組まれた堅牢な基壇のことです。
しっかりとした天守台を設けることによって、その上に堅牢な天守を建築することができるわけです。

しかし、現在では、天守が残っている城というのは限られています。
現存する天守は12か所しかないですね。
さらに、再建された天守などもありますが、どこの城跡でも天守が再建されているわけではありません。
そのため、天守台だけが残っている城跡というものも非常に多いわけです。

ところが、そんな日本に数ある城の中でも、天守台はあるものの天守そのものがこれまでに一度も建造されなかった城跡もあったりするのです。
せっかく堅牢な天守台を築いたのに、その上の天守が設けられなかった。
一体そこにはどのような理由があったのでしょうか。

今回は、このような天守台はあるものの、天守が築かれなかった城について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • お城のシンボルである天守。が、築かれるはずだった・・・のか?なぞの天守台だけ築かれた城について見に行ってみよう。

天守台だけで、天守が築かれなかった城

お城巡りの中で、何よりも目立つのはそれぞれのお城の天守です。
遠くからも見ることができる天主の姿は、そのお城がどれだけ多くの人々に影響を与えていたのかがよくわかりますよね。
しかし残念なことに、創建当時から残っている天守というものは、日本国内には限られた数しか存在していません。
現存12天守とも呼ばれる12の天守は、様々な苦難を乗り越えて今もなお私たちの目の前に残っているのです。

それ以外にも再建された天守は数多く。
もともと建っていた時の姿をそのまま再現された天守もあれば、限られた資料から断片的に再現された天守。
そして、全く異なった天守が再建されている例もあります。

そのような中で、創建当時から天守が全く築かれなかった城というものもあるのです。
本格的に天守が築かれ始めたのは安土城からと言われています。
それ以前であれば、天守というものが存在しなかった城もあったのですが、安土城以降であっても天守が存在しない城もあるのです。
それも、天守の基壇でもある天守台を建造しているにもかかわらずなのです。

天守台とは、その名の通り、天守を支える台となる建物。
基本的に広壮な建造物となる天守を支えるために、さらに堅牢な基壇である天守台が必要となるのです。
では、石垣に囲われた堅牢な天守台はあるものの、その上に天守が築かれなかったということはどういうことなのでしょうか。
単純に、天守を財政的な理由で築くことができなかった、というようなことでしょうか。
しかし、そんな中途半端な計画であれば、天守台の建造そのものに踏み切るでしょうか。

そもそも天守台とは城の縄張の中でも中心となる重要な施設です。
天守が建造されなかったとしても、その天守台の上に戦の準備をして、戦いに備えることもできます。
そのため天守台だけで十分と思われていたのではないか、という考えもあるそうですし、天守台だけで城の各指揮を表していたのではないかともいわれています。

それでは、具体的にどこに天守台のみで、天守が築かれなかった城があるのでしょうか。

赤穂城

まず一つ目は、兵庫県の赤穂城です。
赤穂城には城の中でも、敷地内の中心に築かれた美しい天守台があります。
この赤穂城ではこのような立派な天守台があるものの、その上に天守が築かれることはありませんでした。
赤穂城では、中央にあるこの天守台そのもので、この地を治めた大名の格式を表したのではないかと言われています。

篠山城

同じく兵庫県にある篠山城も天守台はあるものの、天守は設けられなかった城の一つです。
篠山城の中でも最も高く、敷地内の奥まったところに設けられた天守台は、この位置から城の南東の方角を見渡すことができ、見張り台としての役割も担っていたのではないかと考えられています。

江戸城

今回はもう一つ、江戸城を紹介しておきます。

ただし、江戸城は天主が建造されなかったのではなく、何度か火災に見舞われて天守が焼失した後、ついには再建されなかったという経緯があります。
太平の世には、全権をもっていた江戸幕府はあえて権威を象徴する天守という存在をもつ必要はなかったのかもしれませんね。
そのため、天守台のみが現在も残されています。
皇居内にありますが、一般の見学は可能となっています。
江戸幕府将軍の居城ということだけあって、天守台の規模だけを見てもその大きさが浮かんできます。

いかがだったでしょうか。
立派な天守台はあっても、実は天守は建造されなかった。
ある種のミステリーっぽいですよね。
しかし、そこにもいろいろなストーリーがあるのです。
“ある”ものから想像するのではなく、”ない”からこそそこからイメージを膨らませる。
城のもう一つの楽しみ方ですね。