912【北海道紀行】網走監獄のシンボル的な存在といえばこの建物『博物館 網走監獄② 舎房及び中央見張所』

北海道(Hokkaido)
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今回は第二回目の博物館 網走監獄の紹介です。
前回は正門と庁舎について紹介しましたが、今回紹介しているのは網走監獄と聞いて最も人々の頭にイメージされる場所です。
その場所とは舎房及び中央見張所であり、放射状にのびた独特の形が特徴ですよね。
この独特な形は、イギリスを中心に広く採用されている形の舎房であり、中央見張所を中心に5本の木造舎房がそれぞれの方向に延びた、囚人たちを監視しやすい形の形状となっています。
木造のこの形の舎房が現存しているのは本家にも残っておらず、日本のこの網走監獄のみなのだそうです。

この舎房にまつわる話として有名なのは、脱獄王の話もあります。
これだけ厳重で、厳しい見張りにさらされている舎房から、脱獄を成功した人物が2人もいるのだそうです。
この脱獄王は、現在ではこの舎房を代表する話となっており、展示としても多く解説がなされているのです。
今回はこの博物館 網走監獄を代表する舎房及び中央見張所について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 囚人たちを収容する様々なアイデアが施された舎房。そして、それらを監視する中央見張所。今も残る木造の名建築を見に行ってみよう。

博物館 網走監獄の記事です

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912【北海道紀行】網走監獄のシンボル的な存在といえばこの建物『博物館 網走監獄② 舎房及び中央見張所』
今回は第二回目の博物館 網走監獄の紹介です。今回紹介しているのは舎房及び中央見張所であり、放射状にのびた独特の形が特徴ですよね。この独特な形は、イギリスを中心に広く採用されている形の舎房であり、中央見張所を中心に5本の木造舎房がそれぞれの方向に延びた、囚人たちを監視しやすい形の形状となっています。
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舎房及び中央見張所

網走はほんの小さな漁村でしかありませんでした。
しかし冬の間にはオホーツク海の厳しい寒さと流れつく流氷に阻まれて漁に出ることはできません。
そんな不便な場所にあったため、北海道開拓の中でも取り残されている地域でした。
北海道の強烈な寒さに襲われる網走は、なかなか開拓も進まず、ここに定住する人々もそこまで増えていませんでした。

ところが、日本政府はこの小さな村に屈強な男たちを送り込みます。
男たちは鎖につながれ妙な色の着物に身を包んでいます。
見るからに怪しいこの男たちではありましたが、次から次に網走に男とたちが送り込まれてきます。
この男たちは囚人としてこの網走に送り込まれたのでした。
時は江戸時代が終焉し、明治が始まったころ。
日本各地で新しい体制に反対する国賊があふれ、また政治思想的に明治政府と相反する政治犯などがあとを絶たない時期でした。
そんな膨大な犯罪者を収容するために、北海道という未開の地は非常に都合がよかったのでした。
彼らを収容する場所の必要性と、北海道を開拓する労働力の確保。
明治政府については非常に都合がよかったのでした。

そうこうしている間に、網走には1200人余りの膨大な囚人たちが送り込まれ、その囚人たちが生活することができる大きな刑務所が出来上がりました。
そこで囚人たちを待ち受けていたのは、過酷な環境でした、
多くの囚人たちはこの地でその人生を終えたのです。

刑務所が出来上がるとそこで働く職員たちが家族を連れて網走にやってきます。
ほんのわずかな人々しかいなかった網走の人口はあっという間に人口が増え、その増えた人口に商いをする人々もやってきて、あっという間に賑やかな町となったのでした。

網走に送り込まれた囚人たちは、中央道路完成などを中心として、網走につながる道路や鉄道路線の建造をこの囚人たちが行ったのです。

舎房及び中央見張所とは

そんな網走監獄でしたが、現在残っている建物のほとんどは明治45年に出来上がったものです。
創建当時の建物はほぼすべてが明治42年の火災で焼失してしまったため、その後再建された建物群が現在も残っています。
この再建の際に放射状の舎房及び中央見張所が作られ、網走でも最初の電気が通されたのでした。

この特徴的な五翼の放射状の舎房の建物ですが、イギリスで定着していたペントンビル式という舎房の形となっています。
木造の五翼の舎房が残っているのは、世界の中でもこの網走だけなのだそうです。
また、その五翼の舎房を見張るために、中心には中央見張所が置かれました。
この見張所から五翼の舎房の点検が日常的に行われ、取り締まりが行われ続けました。

アクセス

網走駅から南西に5kmほどの場所にあります。

舎房及び中央見張所を見に行ってみた

それでは、舎房及び中央見張所を見に行ってみましょ

敷地内の見学ルートに沿って歩いていくと、この舎房及び中央見張所に到着します。
放射状に延びた舎房が特徴的な建物です。

入り口に向かって歩いていきましょう。

こちらが舎房及び中央見張所の建物です。
明治時代の獄舎を完全にとどめる舎房としては、日本国内でもここまでのものは残されていません。
まして、木造で現存する建物としては非常に貴重なものであり、国指定重要文化財にもなっている建物です。
入り口入ってすぐに見えているのが中央見張所です。

こちらが中央見張所です。

中から舎房を見てみると、

どの方向に向かっても、その様子がよく見えます。
効率的に、囚人たちを監視するには最適な形なのでしょう。

入ってすぐのところには、脱獄王 寅吉にまつわる展示があります。

もう一人の昭和の脱獄王、白鳥由栄の展示もあります。
こちらは舎房の扉なのですが、この扉を破壊して脱獄を果たしたのが同氏なのです。

それでは舎房に入っていきましょう。

こちらは斜め格子と呼ばれる格子です。
これは、雑居房の中からは向かい合う部屋の中を見ることができないようになっています。
また、看守からは両方の向かい合う部屋の中が監視できるようになっているのです。
囚人たちが余計な話をできないようにしつつ、暖房や換気、監視を効率よくできる網走監獄ならではの工夫なのです。

雑居房にも入ってみましょう。

こちらが監房の中です。
囚人の物を置く棚が見えます。

雑居房の隅にはトイレとして使われていたスペースがあります。

この先には独居房があります。

一人用の独房のため、結構狭いですね。

収監されていた囚人の様子です。
何か作業をしているようです。

こちらは懲罰房でしょうか?

こちらは脱獄王 白鳥由栄にまつわる解説がなされていました。
この一見は、ドラマ化もされているのだそうです。

上を見てみると、おおっと!!
実際にこのように脱獄したのだそうです。

斜め格子ですね。

雑居房での食事の様子です。

舎房の暖房として使われていた薪ストーブです。
時代と共に石炭→石油→スチームと、整備されてきたのだそうです。

いかがだったでしょうか。
明治の色を強く残す、歴史的にも貴重な建物であったことは伝わったでしょうか。
網走といえばこの放射状の舎房がまず頭に浮かぶことでしょう。
そして、その壮大な規模は、実際に訪れて体験する価値のある建造物でした。