お城には様々な建物が敷地内にあります。
最も目立つものがなんといっても天守ですよね。
天守=城だと思っている人が多いことからも、城を代表するものであることもうかがえます。
しかしそれ以外にも、城を構成する施設は様々にあるのです。
そしてこれまでには、そんな城の中にある様々な建物について紹介してきました。
だんだんと城というものに対する興味も高まってきているのではないでしょうか。
今回はさらにこれらに追加して、どの城にも必ずあったけど、今ではほとんど残っていない建物を紹介していきたいと思います。
どんな場所でも、その中に入るときに必ず通らなければいけないところがあります。
現代であれば、受付だったり入り口だったり。
公共の施設であればチケットカウンターがあったり、などなど。
もちろん城にもかつてそのような城内に入るときに必ず通らなければいけない城門がありました。
その近くには必ず置かれていた場所に番所というものがあります。
そして、一つの城に対して出入口はいくつもあるように、番所は一つだけではなく、複数の番所が置かれていたのでした。
ところが、現在に残っている番所跡はほとんどありません。
一つの城に対して多く設けられていた番所であるはずなのに、そのほとんどは今では見ることができない状態になっているのはどうしたことなのでしょうか。
では今回はこの、城に入るときに必ず通る場所であった番所について紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
番所

日本に数多く存在した城。
その城には数多くの建物がありました。
そして、必ずと言っていいほどそれぞれの城にあった建物一つが番所(ばんしょ)です。
この番所という場所ですが、その多くは城の城門の近くに置かれていました。
そのことからもわかるように、主な仕事は城内に出入りする人をチェックしたり監視したりする見張りの仕事を担っている場所でした。
またそれ以外にも、城内警備のために24時間交代で見回りをしたり、城の城門の開け閉めなどを行っていたのだそうです。
現代でいうと警備員や、交番の警察官などのようなイメージですね。
さらには、城には城門がいくつかあるように、番所も一つというわけではありませんでした。
多い城では数十か所も番所があった城もあったそうです。
そんな城の安全を守る一役を担っていた番所ですが、そのほとんどはこじんまりとした一戸建てで二畳程度の広さの建物がほとんどだったそうです。
城の中でもその造りは簡素であり格式の低い建物だったのです。
現在現存している番所がほとんど残されていないことからも、城の中ではそれほど建物的には重要視されていなかったことがうかがえることでしょう。
ほとんど残っていない番所ではありますが、なんと東京にある江戸城跡には多くの番所が残っています。
同心番所
百人番所
二の丸番所
これらが江戸城に今も残る番所なのです。
これ以外にも、弘前城にある与力番所や、姫路城にある菱の門の番所など、その数は多くはありませんが、残されている場所はあるので、探してみると意外に見つかることでしょう。
お城で様々な仕事に従事していた人たちがいました。
そういった人々の詰め所としての役割も持っていた番所。
多くの人たちが入れ代わり立ち代わりやってきて、城で働く人々の生き生きとした姿がここでは見られたことでしょう。
いかがだったでしょうか。
今回城にあった一つの建物、番所について紹介してきました。
今ではほとんど残っていない番所。
しかし、残っているところにはまだ残っています。
城の中でも現存する番所を巡る旅というのも、なかなかコアな旅の仕方の一つかもしれませんね。
今回紹介してきたこの番所なのですが、必ずしも城だけにあった建物ではありませんでした。
番所は城以外でも重要な地点にはおかれていた施設でした。
それは、例えば街道などの要所に番所が置かれて、通行人や荷物の検査などを行ったりしました。
港や河川なども重要な交通路であったため、こういった場所にも番所は置かれていました。
江戸の町には、重要な橋のたもとなどにも番所が置かれたり、宿場町に置かれた番所、幕府直轄の天領に置かれた番所など、人や物の往来がある重要な拠点にはこの番所が置かれて、そこを行き交う人や物のチェックを行っていました。
城の中でもかの有名な名古屋城では、城の敷地内に48か所もの番所が設けられていたそうです。
それだけ多くの番所によって、城に出入りする人や物を鉄壁の守りでチェックしていたのでしょうね。
天下太平の時代、その平和を守るためにも番所という存在は重要な場所だったことでしょう。