今回は博物館 網走監獄の第4弾です。
刑務所の生活というと、非常に厳しい生活になるというのはなんとなく想像がつきますよね。
特に冬の寒さの厳しい網走監獄であれば、肉体的にも精神的にも非常に厳しいのが想像できます。
そんな受刑者たちの心の支えになる施設が監獄には必要になります。
その施設の名前を教誨堂といいます。
この施設では受刑者たちの精神的な面から更生へと導くように作られたものです。
旧網走監獄にも教誨堂があります。
特定の宗教色を排除した、日本建築らしいこの建物に一歩入ってみると、それまで見てきた周辺の施設の数々とがらりとその内部が違うことに大きく気が付くことでしょう。
今回はこの博物館 網走監獄内にある施設、教誨堂について紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
博物館 網走監獄の記事です







教誨堂
博物館 網走監獄にある教誨堂は、明治45年に建築され、現在の場所には昭和56年に移築復元された建物です。
平成17年にはこ国の有形文化財にも認定されています。
教誨とは、僧侶や牧師といった宗教を司るものが受刑者たちに対して宗教心をもつことの大切さや、獄則を守ることの大切さなど人の道を説き、受刑者たちを後世へと導くことを言います。
受刑者たちを心の面から支えようとする行為なのです。
現在は特定の宗教色はないようになっていますが、戦前には網走監獄の教誨事業を仏教の浄土真宗本願寺派が行っていたこともあって、正面の舞台上には阿弥陀如来像を安置する仏壇が置かれていました。
網走監獄の建築群は、明治23年から建造され始め、明治30年代には、非常に優れた建築群となっていました。
しかし、そのほとんどは明治42年の火災によって焼失してしまいました。
しかし、そんな建物群が明治45年に復旧される際に、この教誨堂は建造されました。
教誨を行うために作られた教会堂。
その建造を手掛けたのは、ここの受刑者たちでした。
ここには神仏が宿るからということで、他のどの施設を建てるときよりも精魂込めて造っていたと伝えられてきています。
教誨堂の材料にもなる木材を山から切り出すことから始め、建物に使われている瓦も、監獄敷地内にある窯で焼成したものなのだそうです。
内部に入ってみるとわかるのですが、無柱で広い空間を実現している建築には驚かされます。
外観も和のテイストの中に洋風建築の色合いをのぞかせる和洋折衷の建築となっている、網走監獄の中でもそのデザイン性に高い評価がある建物の一つとなっています。
そのような精神的なより居所であった教誨堂でしたが、戦後にはその広い内部空間を多目的に使用できるようにしたため、軽スポーツや、演芸会や映画会なども開かれ、受刑者たちにとっての憩いの場として活用され続けていました。
アクセス
網走駅から南西に5kmほどの場所にあります。
教誨堂を見に行ってみた
それでは、教誨堂を見に行ってみましょ

こちらが教誨堂です。
敷地内の他の建物に比べると、その美しい外観が目を惹く特徴ある建物です。

和洋折衷のデザインをした物になっていますね。


それでは中に入ってみましょう。

中を覗いてみると、外観とはうって変わって、このようは広々とした大空間が。
外観と内部とのギャップもすごいですよね。

中央には祭壇があります。

この場所は受刑者たちの厚生施設であるとともに、過酷な北海道の開拓の礎となった鎮魂のためのお堂という意味合いも持っているのだそうです。

入り口側を見てみます。
壁沿いには、この教誨堂にまつわる展示品が並べられていました。

こちらは楽団の様子でしょうか。

受刑者たちはクラブ活動を行っていたようです。
そこで制作された書写や描画の作品が並べられています。

受刑者にとっては、厳しい規律と作業に明け暮れる毎日の中でひとときのやすらぎの時間であったようです。

受刑者たちの私本や、貸し出しが行われていた書籍の展示です。

辞書や学習書、宗教書などもありました。

教誨についての歴史と沿革についての展示もありました。
いかがだったでしょうか。
刑務所ならではの施設である教会堂。
ここには、厳しい生活の中でひと時の安らぎを求める受刑者たちの思いがたくさん込められている場所なのでした。
その思いは、教誨堂の建物そのものにも多く現れているように感じました。
博物館 網走監獄の見学ルートの中では、最後に訪れるこの教誨堂。
受刑者たちの心の平穏を願ったこの場所の雰囲気を直に味わってみてください。