今回は博物館 網走監獄の第5弾です。
刑務所の中には、受刑者たちの心のよりどころになるような施設が設けられています。
以前紹介したような教誨堂などのような施設がそうですよね。
服役するだけではなく、心の面から更生を促すのが刑務所の役割の一つです。
そういった施設は他にもあったりするのです。
博物館 網走監獄の中にもまだまだそういった施設があるのです。
施設内を歩き回っていると、刑務所の中なのになぜ?というような施設があります。
その施設とは、二見ケ岡刑務支所のすぐそばにあります
小高い丘になったその場所には、小さな鳥居が一つ見えてきます。
鳥居といえば、その通り。
実は網走監獄の敷地内には神社があるのです。
この神社なの名前は、二見湖畔神社といいます。
なぜこのような場所に神社があるのか??
謎は深まるばかりです。
今回はこの博物館 網走監獄内にある小さな神社、二見湖畔神社について紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
博物館 網走監獄の記事です









二見湖畔神社
網走監獄内にある2つの大きな見どころである、舎房と二見刑務支所。
この2つの大きな施設に挟まれた場所に、こじんまりとした神社があります。
この神社の名前は、二見湖畔神社といいます。
なぜこんなところに神社がと思うかもしれませんが、刑務所の中にある施設の一つ、そこにはもちろんながら意味があるのです。
このような宗教施設の場合、受刑者の心のよりどころになるために設けられる施設なのですが、この二見湖畔神社にもそのような意味があります。
二見湖畔神社は、”湖畔”神社という名前なのですが、湖畔はここから見えません。
それは、この神社がもともとはこの場所に設けられたものではないということです。
最初は、二見ケ岡刑務支所がさらに東の網走湖と能取湖の間にあったように、大正2年に二見ケ岡を見下ろすことができる位置にありました。
しかも、この二見湖畔神社を建てたのは、二見ケ岡農場で刑務を行っていた受刑者たちでした。
受刑者たちが、二見ケ岡を見下ろす位置に社を建てて、そこに桜を植樹し、この小さな神社をもうけました。
ではなぜこの神社を受刑者たちは建てたのでしょうか。
それは、二見ケ岡刑務支所の農場で行われていた農作業に関係があります。
受刑者たちがその農場で春の種まきから始まって、秋の収穫まで。農作業の安全と豊作を祈願するための役割をもった神社なのでした。
さらには、この神社では毎年11月3日には収穫祭が行われていました。
収穫祭では、大迫力の神輿が練り歩き、それは賑やかなものであったそうです。
それは昭和40年頃まで祀られていたそうなのですが、受刑者の数が減ってきたことと、宗教的な理由もあって収穫祭の実施はなくなりました。
現在の場所に移設されたのは平成13年5月であり、現在のような博物館 網走監獄内の二見ケ岡刑務支所を見渡すことができる位置に移設されました。
移設後は、昭和40年頃以降は行われていなかった収穫祭も再開されたのです。
アクセス
網走駅から南西に5kmほどの場所にあります。
二見湖畔神社を見に行ってみた
それでは、二見湖畔神社を見に行ってみましょ

二見刑務支所のすぐそばには、このような看守所という施設があります。
この施設が二見湖畔神社の目印です。
(※この看守所の施設も、貴重な文化財なのです。)

看守所のすぐ隣に、小高い丘に登っていく階段があります。
すでに鳥居が見えていますが、この先に二見湖畔神社はあります。

階段を上ってきました。
奥に社が見えます。
本当にこじんまりした神社ですが、かつて二見ケ岡にあったように、二見ケ岡刑務支所の農場を見下ろす、かつての位置関係を表しているような場所に建てられています。

少しだけ二見湖畔神社からは離れますが、すぐ隣にはレンガ造の別の施設もあります。

こちらは登り窯であり、明治時代に近代的な五ク社を建築するために用いられたレンガを製造するための場所でした。
受刑者たち自身の手によってここで刑務所内の粘土を使用して大量のレンガが焼成されました。

ここで作られたレンガは、刑務所内の各所の建築に利用されました。
後ろにある三眺山の傾斜を利用して造られた登り窯は、効率よく大量のレンガを作ることができるようです。
なお、その後電気窯が利用されるようになったため登り窯は使われなくなりましたが、展示物としてこの三連登り窯が復元され、二見湖畔神社のすぐそばで展示され続けています。
いかがだったでしょうか。
広大な土地であった網走刑務所の利点を生かしいて、積極的に行われていた農作業。
その農作業の安全を祈願する二見湖畔神社は、多くの受刑者たちの心のよりどころの一つであったことは間違いないでしょう。