今回は博物館 網走監獄の第6弾です。
博物館 網走監獄にある施設をこれまで5回に分けて紹介してきました。
主だった施設はこれまで紹介してきた内容でほぼ網羅することができているのですが、広大な敷地を持つ博物館 網走監獄。
それら以外にも数多くの施設があります。
それぞれの施設は、その規模の大小はあるものの、それぞれが施設内の重要な役割を担っていたのでした。
受刑者たちの生活関係の施設。
受刑者たちの食を満たすために施設。
受刑者たちを収監した懲罰を与える施設。
看守たちが見張りを行う施設などなど。
どれもが網走監獄になくてはならなかった施設であり、それらが保存状態よく博物館 網走監獄内には残されているのです。
今回は、これまでには紹介してこなかったそういった様々な施設についてまとめて紹介を行っていきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
博物館 網走監獄の記事です







博物館 網走監獄内の施設の数々
博物館 網走刑務所は、かつて刑務所だった建物をそのまま博物館として残すという世界でも珍しい試みで造られました。
受刑者を収容するというだけではなく、北海道を開拓するという国家の使命を帯び、広大な大地を切り拓いていく礎となったこの網走刑務所。
昭和48年(1973)には、元々あったところから向かいの山に移住して保存展示されるようになりました。
全面改築が行われたわけなのですが、網走刑務所を代表する施設であった庁舎や教誨堂、放射状の形が印象的な舎房など、新たな場所に移築復元されて、博物館として新装開店することとなった旧網走刑務所。
一つの街の中に古い刑務所と新しい刑務所とが見られる珍しい町となりました。
観光で訪れる人々も年々増加しました。
平成2年(1990)には100周年を迎え、現在は150年に向けてまだまだ網走の観光拠点として重要な博物館 網走監獄。
地元にとっては貴重な管区施設だけではなく、網走という町が歩んできた歴史そのものともなっています。
そんな博物館 網走刑務所には、これまで紹介してきた意外にもまだまだ受刑者たちを支えてきた施設が点在しているのです。
アクセス
網走駅から南西に5kmほどの場所にあります。
博物館 網走監獄内の施設の数々を見に行ってみた
それでは、博物館 網走監獄内の施設の数々を見に行ってみましょう。
駐車場入場ゲート

それでは実際に博物館 網走監獄に訪れてみましょう。
こちらは施設の駐車場入り口にあるゲートです。
このゲートをくぐると、広大な駐車場と博物館 網走監獄の入り口があります。
鏡橋

駐車場から階段を上ると、目の前に橋が見えます。
この橋は鏡橋と言います。
網走監獄に入るときも出る時も、必ずこの鏡橋を通ります。
現在の加賀美橋は4代目です。
チケットカウンター

鏡橋の奥にはチケットカウンターのある建物があります。
博物館 網走監獄のホームページには、インターネット割引がありますので忘れずに印刷していきましょう。(入館料は結構高いのです。大人1500円・・・)
旧網走刑務所職員官舎(再現構築物)

こちらは、かつての網走監獄で働いていた人々の職員官舎を再現した建物です。
通称「看守長屋」とも呼ばれていました。
明治45年に建てられた職員官舎は、昭和50年代までは網走川の両河畔に176戸立ち並んでいたようです。

職員官舎の台所ですね。
かまどがあるのが明治期の建物らしさです。

職員家族たちは、北の大地網走でこのような生活を行わていました。
家族で住むには9畳しかない職員官舎は非常に狭く、必要最低限の生活用品での生活が行われていたようです。

休憩所にもなっています。
網走刑務所裏門

こちらは、大正8年に製作されはじめた門です。
約5年の歳月をかけ、受刑者たちがレンガをこつこつと積み上げたこの門は、総延長1080mもの長さのレンガ塀となりました。
平成5年まで70年間も網走刑務所の裏門として利用されたこの門は、受刑者たちが塀の外の農場などの作業場に出かけるときにはこの門をくぐり抜けていたようです。

こちらの門は、復元されたものです。
ニポポ

裏門を抜けたところに、北海道の民芸品であるニポポ像があります。
網走刑務所の受刑者たちによってこのニポポ像は製作されています。
ニポポには、どんな願いでもかなえて幸せになるという意味があるようです。
網走刑務所水門

網走刑務所の前に流れる網走川。
網走刑務所にとってこの網走川は物資の搬入などを行う貴重な水路でした。
その出入り口としてこの網走刑務所水門は大正13年に造られました。
もちろん受刑者たちの手によって。
実際には昭和31年まで活発に利用されていたようです。
哨舎(水門横)

こちらは哨舎であり、登録有形文化財に登録されています。
裏門をくぐってすぐそばのところにあります。
旧釧路地方裁判所網走支部法廷復原棟

ここは、釧路地方裁判所網走支部が新庁舎建設のために旧調査の取り壊しを行うにあたって、その一部分を譲り受けて復原された建物です。
平成3年までは実際に使われていたのだそうです。

この建物では、裁判所建物内部の法廷、仮監置室、勾留質問室などが移築復原されています。
各部屋の配置や大きさは元通りであり、内部の備品も実際に使用されていたものです。
この裁判所で実刑判決を受けた被告人の多くが、その後網走刑務所で服役することになったのです。

おちらは単独法廷であり、重罪ではない比較的軽い刑罰についての裁判が行われています。

こちらは合議法廷であり、重罪事件を扱っている法廷でした。

こちらは勾留質問室であり、尋問に使用された部屋です。

こちらは拘置室です。
裁判のために拘置所から出廷してきた被告人のための控室となっています。
現在は仮監置室といわれるそうです。
味噌・醤油蔵

施設内には味噌蔵・醤油蔵と呼ばれる建物があります。
監獄内では、経費削減のために味噌や醤油は自給されていました。

この蔵にある醤油桶はもともとは民間で使われていたものですが、網走刑務所で使われていたものと同型であるために、参考にここでは展示されています。
休泊所

こちらは休泊所と呼ばれています。
受刑者たちが塀の外に出て日帰りでできない作業をするときはこのような休泊所と呼ばれる仮小屋で寝泊まりをしていました。
特に網走刑務所の受刑者たちは、北海道中央道路開削工事を担っていました。
そのため、網走から札幌に向けて工事が進んでいくにつれて、この休泊所もその都度解体指定移動していきました。
別名で動く監獄と呼ばれたのはそのようなためです。

休泊所は丸太で組まれ、屋根はかやぶきでできています。
もちろん受刑者たちが自分たちで建築する必要があるため、現地調達で資材を集め、大急ぎで建築が行われたそうです。
稲架掛け

刈り取った稲を干すときに使用する穂架と呼ばれるものです。
網走刑務所本所から26km離れたところにある住吉農場というところでは稲作が行われていたので、この稲架掛けが並ぶ風景が見られたようです。
つけもの庫

網走刑務所では季節の野菜も自給されていました。
秋になって収穫した大根を乾かして、たくあん漬けとして大量にここに貯蔵されていました。
耕運庫

こちらは耕運庫とよばれる施設です。
農園刑務所として有名な網走刑務所にある広大な農地を耕作するための、農機具や肥料、そして収穫された作物を入れるこのような小屋も設けられていました。


登り窯


網走刑務所各所で用いられたレンガも、施設内で自給されていました。
そのレンガを焼成するために用いられたのがこの登り窯です。
哨舎(舎房前)

放射状舎房の前にも哨舎があります。
網走刑務所赤レンガ外塀のレンガ

このレンガは、現刑務所の外塀に使われていたレンガの一部であり、最近取り壊された一部分となっています。
浴場

受刑者たちが生活をする場として、衛生面で欠かせない施設が浴場です。
もともと網走刑務所では差湯方式の浴場が明治42年の大火で焼失した後に、コンクリートの浴槽に上記で湯を沸かす方式の近代的な浴場でした。



レンガ造り独立型独居房

監獄内で規則を守らない者には、食事の量を減らし、一定の期間窓のない真っ暗なこの独居房で生活させるバツがありました。
明治末期に造られた独居房での生活は、受刑者にとっては非常につらいものでした。




懲罰房

こちらは懲罰房と言います。
まわりを木塀でおおい、外から光が入らないように造られ、別名では闇室と呼ばれていました。
監獄内の規則を犯した受刑者が7昼夜重湯だけが与えられて入居させられていました。

釧路集治監網走囚徒外役所正門

刑務所の門は、木造の塀は脱獄が容易であり外部からの侵入を防ぐことが難しいため、明治5年には石造りかレンガ造りにすることが定められていたようですが、資材調達などの地域の事情に応じては木造だったこともあるようです。
網走刑務所の場合も、創設当時は塀は木造で造られていました。
哨舎(教誨堂前)

教誨堂の前にある哨舎です。
いかがだったでしょうか。
数々の見どころがある博物館 網走刑務所。
有名どころ以外にも今回紹介したような数々の施設があるのです。
全てをゆっくり見て回ろうとすれば3時間は最低でも欲しい所でしょう。
世界的にも珍しい広大な刑務所跡を堪能してみませんか。