952【北海道紀行】日米合同で建てられた初めての慰霊碑。ここでは一体何があったのか!?『平和の碑』

北海道(Hokkaido)
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日本本土最北端の地、北海道の宗谷岬
日本の四極のひとつということで、ここを求めて訪れてくる旅人はとにかく多いことでしょう。
実際にこの宗谷岬を訪れると、海峡を挟んで樺太が見える場所。
自然環境の厳しいこの場所を訪れることは、多くの人々にとっても一度は到達しておきたい場所ですね。

そんな宗谷岬なのですが、ここを訪れると人々を出迎えてくれるのが日本差北端の地のモニュメントですね。
数多くの人々がこのモニュメントの前で、北の端に到達したことを思い出に残します。
ところが、その周りを見てみると様々な碑や像などが目に入ってきます。
例えば、日本最北端の地のすぐそばには間宮林蔵の像があったり、日本最北端の店があったり。
さらには、岬に隣接している小高い丘の上にも数々の見どころがあったりするのです。

今回紹介しているのは、その丘の上にあるある一つの碑です。
角錐状の上に丸い球の乗った形のこの碑は、『平和の碑』といいます。
平和の〇〇、という名前で思い起こされるのは戦争にまつわるものが多いということですよね。
ではこの宗谷岬の地では、一体どのようなことがあり、この平和の碑が建てられるに至ったのでしょうか。

今回はこの宗谷岬にある平和の碑について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 日本最北端の地、宗谷岬公園に建つ平和の碑。この場所でどのようなことが起こり、何を願って建てられた碑なのでしょうか。

北海道北部の記事です。

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平和の碑

平和の碑とは、日本本土最北端の地である宗谷岬の、宗谷岬公園内にある碑です。
この碑がこの場所に建てられたのは平成7年(1995)のこと。
では、なぜこのような碑がこの場所に建てれたのでしょうか。

この碑が建てられることになったきっかけの出来事とは、今から80年以上前までさかのぼります。
当時といえば日本とアメリカとが激しい戦いを繰り広げていた太平洋戦争真っ只中。
太平洋の様々な島々で戦いが繰り広げられていたり、日本本土に対してもアメリカからの攻撃が行われるかという中で、この宗谷岬の沖合でも激しい戦闘が行われたのでした。

時は昭和18年(1943)10月。
この宗谷岬の沖合、北東12マイルの宗谷海峡で日本軍とアメリカ合衆国軍との戦いが繰り広げました。
この場所では、5時間にも及ぶ戦いが繰り広げられ数多くの被害者が出てしまったのです。
その戦いにやってきていたのがアメリカの海軍潜水艦ワフー号でした。
このワフー号は、北海道のこの場所に向けて日本海を北上してきました。
しかしその途中で関釜連絡船の崑崙丸や、数々商船などへの攻撃を繰り返して5隻の日本商船を日本海に沈めています。
その時の犠牲者は696名にのぼります。

また、そのような攻撃を繰り返していたワフー号自身も、旧日本海軍の攻撃によって乗組員80名を乗せたまま撃沈され、海の底へと沈んでしまったのです。

この碑は、平成7年(1995)に建てられたものです。
この年は一体何があった年なのかというと、戦後50年にあたる年だったのです。
この年に、この場所に平和の碑は建てられました。
なお、この碑を建立したのは国ではありません。
日本とアメリカの両国の、この地で亡くなった人々の家族たちによって設立されました。
戦いの中で亡くなった方々を慰霊するために建てられた碑ではありますが、平和を願う両国民の気持ちを表している碑となっているのです。
かつての敵は、今日、強大として出会い、両国の平和が尽きることがないいよう、今両国があたためている友情が決して再び壊れることがないよう、人々の祈りが込められている碑となっているのです。

アクセス

宗谷岬のすぐそばにあります。

平和の碑へ行ってみた

それでは、平和の碑に行ってみましょう。

こちらが平和の碑です。
小高い丘の上にある宗谷岬公園名にあるこの碑は、背後に宗谷海峡を望む非常に見晴らしのいい場所にあります。

この海を見渡すことができる眺めの良い場所で、日本とアメリカ、双方の国の平和がいつまでも続くようにこの場所から人々を見続けているのです。

いかがだったでしょうか。
宗谷岬、そして宗谷岬公園にのこる数々の碑。
それら一つ一つには意味があって、この地に建てられたものなのです。
一つ一つにストーリーがあるこれらの施設を求めて訪れる人々は少ないとは思いますが、宗谷岬を訪れたのだから、少し足を延ばしてこの地に残る様々な歴史に思いをはせるということがあってもいいのではないでしょうか。
日本最北端の地の碑に、日本本土四極踏破証明書の取得。
さらには戦争時のことを思い起こさせる碑の数々等、見どころの多い宗谷岬。
事前に何があるのかを少し調べてから行ってみると、多くの見どころに出会えるかもしれませんよ。