953【旅ノウハウ】日本の伝統、百人一首。その舞台となった場所を巡ってみる旅というのはいかがでしょうか③(41~60)

旅のノウハウ(Travel)
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歴史的に有名なかつての人物たち。
日本の伝統的な和歌を残した数多くの人々が日本の歴史にはあります。
そのような中で選ばれた100首。
それが百人一首なのです。

そのようにして選ばれた100首の札の中には、実際の場所が詠まれた和歌も多数あるのです。
和歌に詠まれた場所を実際に見に行ってみるという旅はいかがでしょうか。
実際の場所に行くことによって詠み人がそこをどのように思って和歌を詠んだのかを感じ取ることができるかもしれません。

今回はそんな古き良き場所を知る旅である、百人一首を巡る旅の第三弾について書いていきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 和歌に詠まれた場所を思って、その言葉を用いて表現する和歌。そんな場所を巡る旅に出かけてみませんか。

過去の百人一首にまつわる記事です。

983【旅ノウハウ】日本の伝統、百人一首。その舞台となった場所を巡ってみる旅というのはいかがでしょうか④(61~80)
百人一首の100首の札の中には、実際の場所が詠まれた和歌も多数あるのです。実はそのほとんどはそこの場所で詠まれたものではなく、その場所をイメージして詠まれたものがほどんどなのですが、それだけ大昔の人々を魅了するほどの場所。その和歌に詠まれた場所を実際に見に行ってみるという旅はいかがでしょうか。
927【旅ノウハウ】日本の伝統、百人一首。その舞台となった場所を巡ってみる旅というのはいかがでしょうか②(21~40)
歴史を彩る人物たちの和歌が100首集められたのが百人一首です。飛鳥時代から鎌倉時代に詠まれた百人一首の歌の数々には、実際の京都や奈良の場所を表したものがに詠まれています。今回はそんな古き良さを知る旅、百人一首を巡る旅はどうだろうか、第二弾について書いていきたいと思います。
871【旅ノウハウ】日本の伝統、百人一首。その舞台となった場所を巡ってみる旅というのはいかがでしょうか①(01~20)
歴史を彩る人物たちの和歌が100首集められたのが百人一首です。百人一首が詠まれた時代は、飛鳥時代から鎌倉時代。今では誰でも知っているこの百人一首はこれらの時代に応じて、その多くが近畿圏、現在の京都や奈良を中心に詠まれたものとなっています。その中には、その和歌が詠まれた場所について表されているものも多くあります。では、和歌に詠まれた場所を見に行ってみるという旅はどうでしょうか。

百人一首を巡る旅③

百人一首とは、13世紀に成立した秀歌撰であり、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけた活躍した藤原定家によって選ばれた和歌集です。
古くは飛鳥時代の天智天皇から、鎌倉時代の順徳天皇まで、それぞれの時代を代表する100人の歌人による優れた和歌を一首ずつ選んでいます。
その百人一首の詠まれた時代は、まだまだ近畿圏が中心だった時代。
詠まれている和歌の中には、今もなお残る風光明媚な場所が数多く読まれているのです。
となると、めぐって見たくなりませんか、その場所を。
そして、感じてみませんか、詠み人が感じた気持ちを。

では、百人一首に詠まれている場所にはどのようなものがあるのでしょうか。
今回は41~60の和歌についてです。

42 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは 

末の松山とは、現在で言うと、宮城県多賀城市あたりにあった松林のことを表しています。
この松林は海岸から離れたところにある松林。
そのため、どのような大波であってもこの末の松山を越えることはできないということから、どうあってもあり得ないことのたとえとして使われています。
つまり、実際にその場所のことを思ったりというわけではなく、もののたとえ、慣用句的に使われている言葉なのですね。

なおこの和歌を詠んだ清原元輔は、清少納言の父であった人物であり、和歌の名人だったのだそうです。

46 由良の戸を わたる舟人 かじをたえ 行方もしらぬ 恋の道かな

この歌の由良とははっきりとどこのことかはわかっていません。
なぜなら、流れの激しい海峡で船人がかじをなくしてしまって漂うような、先の見えない状態のことを表している言葉として使っているからだけなのです。
由良ではないかと考えられているのは、和歌山県の由良のみさきか、京都府の由良川の河口、これれのうちのどちらかではないかと考えられています。

51 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを

この和歌に出てくる”いぶき“とは、現在の岐阜県と滋賀県の境にある伊吹山のことです。
この伊吹山の名産であるヨモギのことをさしも草といいます。
この時代、ヨモギとは食べるためだけに用いられていたのではなく、お灸をするときに使うもぐさの原料でもあります。
そのため、さしも草=燃えること、の例えとして用いられていたのです。

伊吹山のさしも草というものを和歌の中に入れることによって、燃え上がる初恋の気持ちを相手に伝えようとした和歌なのです。

58 有馬山 ゐなのささ原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

有馬山とは、現在の兵庫県神戸市にある山のことであり、ゐな(猪名)の笹原とは兵庫県川西市・伊丹市・尼崎市あたりのことをさしています。
有馬山の近くにあるこの猪名の笹原の葉がふかれてそよそよと音を立てる。
この”そよそよ”という音と、不満に対して”そうよ、そうよ”という表現とをかけて表している和歌なのです。

60 大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立

この詠み人である小式部内侍は、有名な歌人を母にもつ人物でした、
とある歌詠みの会で、藤原定頼に「歌詠みの会で詠む歌を、お母さんに代わりに詠んでもらうために、遣いは出しましたか?」と嫌がらせを言われてしまいます。
しかし、小式部内侍は冷静に即興でこの和歌を返します。

大江山を越えていくのを通る丹後の国までの道は遠すぎて、天の橋立の地もふんだことはありませんし、母からの手紙も見ていませんよ。
という意味があります。
皮肉に対して見事な和歌で返されてしまった藤原定頼は、すごすごと退散するほかなかったそうです。

いかがだったでしょうか。
今回はここまでとしたいと思います。
場所の名称が出てきているからといっても、そこの場所に行ってそのことを詠んだわけではない場合がほとんどですね。
当時から、各地の名称がものの例えとして頻繁に用いられていたのだということがよくわかるのではないでしょうか。

百人一首はまだまだあります。
第四弾を乞うご期待ください。