核戦争によって人類が絶滅の危機に瀕してしまったとしたら。
そんな恐怖というものは、人類が核兵器を開発してからは常に人類の脳裏をよぎる恐ろしい光景なのでしょう。
核兵器の恐怖を知った人類は、それによって人類が核戦争を起こし、人類がいなくなってしまう世の中について、小説や映画といったメディアによって表現されているものもいろいろとあります。
今回紹介しているのはとある映画なのですが、こういった核戦争によって世界が死滅していく状況を表した映画としては、かなり古い部類に入る映画です。
元々は、1959年に映画が発表された『渚にて』という映画なのですが、それが2001年にリメイクされ『エンド・オブ・ザ・ワールド』として再度映画として公開されたものなのです。
元々のタイトルである『渚にて』という名前からは思いつかないような、核戦争後の世界を表したこの映画。
人類が滅亡に向かってジワジワと追い詰められていく様子がリアルに表現されているとあって、知る人ぞ知る映画なのです。
今回はこの映画『エンド・オブ・ザ・ワールド』について紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
映画に関する記事です。















映画『エンド・オブ・ザ・ワールド』

『エンド・オブ・ザ・ワールド』とは2001年に公開された映画です。
元々は『渚にて』というタイトルで1959年に公開されていた映画です。
その題名からはなかなか内容がイメージしにくいかもしれませんが、この映画はなかなかショッキングなテーマを取り扱った映画なのです。
なんと、映画の舞台になっているのは、人類が核戦争を起こしたことによって北半球の人類が全て絶滅した世界なのです。
南半球にはまだかろうじて人類が生き残っていますが、北半球から押し寄せてくる放射能によってあとわずかで人類は滅亡してしまう問い世界なのです。
そして、単なるパニック映画などと違うところが、映画が後半に向かっていくにつれ、予想されていた通り人類は追い詰められていくというだけの内容となっています。
淡々と人々に迫りくる放射能と死の恐怖。
映画だし、ハッピーエンドで終わるのだろうなあ、と思いながら見ていると、最後の最後まで希望を打ち砕かれる映画になっているのです。
この映画の舞台となっているのは核戦争後の世界。
台湾をめぐって、アメリカと中国による核戦争が勃発。
その結果北半球の人類は放射能によって全滅し、もはや北半球は放射能汚染によって人類は住むことができない世界となっています。
生き残った人類は南半球へと逃げますが、北半球からは容赦なく放射能が南に向けて襲い掛かってきており、あと2か月もすれば人類は滅亡するだろうと予測されています。
人びとは人類が生き残っている最後の地、オーストラリアへと駆け込みます。
そんな折、すでに人類が住むことができない地となってしまっていると考えられていたアラスカのアンカレッジにあるテレビ局からとあるメールが届きます。
希望を捨てるなという内容のメールは毎日同じ時間になると必ず送られてきます。(※『渚にて』の場合は、これはモールス信号のような電波、となっています。)
実は北には放射能汚染のない地域、もしくは放射能が弱まっていて人類が生存可能になっている地域があるのではないか。

そこで、オーストリア海軍が原子力潜水艦を用いてアンカレッジの探索を行う計画を立てます。
オーストラリアからアンカレッジまでは往復で1か月もかかる航海。
しかし、そこが生存可能であれば、人類は生き延びることができるかもしれません。
原子力潜水艦はアンカレッジに向かっていきます。
ところがアンカレッジで待っていたのは残酷な現実でした。
アラスカに上陸すると、そこは高い放射線量区域であり、どう見ても生存者の姿はありません。
電子メールが送られてきていたテレビ局へたどり着くと、そこには太陽電池で動作するパソコンがあり、そのパソコンから送られてきていたメールなのでした。
生存者も発見できず、生存可能な地も発見d傷失意のもとにオーストラリアに変えるクルーたち。
やがて最後の聖地だったオーストラリアにも放射能汚染が拡大していきます。
人びとの生活は失われ、被爆によって体調を崩すものが続出していきます。
国からは安楽死するための薬が支給され、そこに列をなす市民たち。
潜水艦の乗組員たちも、乗組員として死にたいと潜水艦に集まり、最後の航海へとと旅立っていくところで物語は幕を閉じます。

いかがだったでしょうか。
最後に残されたわずかな希望。
その希望すら打ち砕かれ、人類は滅亡へと突き進んでいく。
核という恐怖が現実になってしまったとしたら、現実はこのように淡々としたものなのかもしれません。
1950年代にす出にこのような映画が考えられていたほど、核兵器というものは人類に対して衝撃的なものであったのでしょう。
この映画が現実とならないように、我々にできることを考えていかなければなりませんね。